漫画家が自殺された件で過剰な反応がおきていると思っている人が多いはずだ。
多くのひとはあの件がイジメに見えるのだ。そして過剰な反応をしている人たち(私も過剰に反応している)は(おそらく)自分がイジメられた経験とかぶっている。ということはこんなに多くの日本人がイジメられて苦しんだことがあるということだ。
イジメに関して「二軍が悪い」という話がある。二軍が持ち上げるから一軍で、二軍がバカにするから三軍だからだ。そして二軍が一番のマジョリティなのだ。
具体的な話だが中学高校で太っているとそれだけでイジメのターゲットになる。つまり「外見」のことだけでイジメられてしまう。そしてマジメで擦れてないひともやはりイジメのターゲットになる。
私もいつかそういうものだと信じていた。でもこれってそもそもおかしくないか?
外見のことでイジメられるとかマジメで擦れてないひとがイジメられるとかいうことがだ.。
ちょっと分かりづらかったかもしれない。姿が良いとかスポーツが得意だとか家が金持ちだという連中が一軍だ。そして二軍はマジョリティ。三軍はそうではない人たち。一軍二軍三軍をこういうふうに考えてほしい。そして一軍が三軍をイジメている。
昔は他の価値観があった。気持ちが優しいとか思慮深いとか。価値観というのは価値基準という意味だ。
姿が良い悪いでいえば姿が良いことに価値がある。
スポーツに関してもスポーツができることに価値がある。
お金に関してもお金を持っている方が価値がある。
ここは大事なところだ。
気持ちが優しいということでいうと気持ちが優しいことに価値がある。
思慮に関しても思慮が深いことに価値がある。
「多様な価値観」という。あれは多様な価値基準という意味だ。
しつこいが「お金を持っている・持ってない」でいうと「お金を持っている」ことに価値があるのだ。
さっき書いた「気持ちが優しい」であるとか「思慮深い」ということでいうと「気持ちが優しい」ことに価値があるし「思慮が深いこと」にやはり価値があるのだ。
言葉遣いがきれいだというのも当然価値基準になる。
イジメが一軍二軍三軍のようになってしまうのはもちろん大人社会の反映だ。大人と大人社会が単調で平凡な価値観(=価値基準)しか持っていないのだ。
マジリティである二軍はたいてい黙ってみていただけだったのだ。でもただ傍観していただけの二軍であってもフラッシュバックを起こしているんだと思うのだ。