世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 22

何度も書いているが頸部ジストニアがやがて治る。腰も腹も全身おかしかったし精神も環境もいったんボロボロになった。

 

余談だが今年私は後厄だ。厄年のそもそもの意味は不明だ。だが経験的にこの当たりは人生のターニングポイントだ。違う言い方をすれば曲り角。この曲り角をスムーズに曲がれるひともいるしガタガタあって曲がるひともいる。つまり悪いことがあって。

でもこれも実は考え方なのだ。悪いことくらいないといろんな意味で変われないひとも多数いる。

今世間で松本人志の話が話題になっている。あのひとも私同様後厄なはずだ。今話題になっていることについては私はわからない。事実として何がどうなっているのかを私は知らないのだ。

悪いことというのは一般的には病気や怪我、人間関係の破綻のようなことだ。一つはこういうことがあると周囲を巻き込んでしまう。緊急で長期の入院をするようなことになれば仕事の関係者もいろんな身近なひとも巻き込まざるを得ないのだ。そしてこういうことくらいないと変われない人たちがいるのも事実だ。

 

今は寿命が伸びたからだろう50才というのも大きな節目のようだ。50才は人生の再選択の年だ。このことは知識としては知っていた。

結婚してお子さんがいるご夫婦の場合50才くらいになるともう子育ては終わっている。お金はまだかかることが多いのだが。

やっぱり芸能人の話だが川崎麻世カイヤのご夫婦の離婚騒動があった。その時私は緊急入院していた。あの時お二人はだいたい50才くらいだったはずだ。でもあのご夫婦は長年もめているご夫婦なのだ。ただあの時お子さんがSNSで(?)「この人たちなにやってんだろう」というニュアンスのことを書いていた。そういうふうにお子さんが思うということはもう十分大人になっているということだ。これが「パパママやめてよ」という反応だったら話は違う。これはあくまで精神的な事柄で金銭や他のことについては違う話になる。

だいたいあのご夫婦のお子さんの性別は知らないが絶対美男美女だと思うのだ。なのにいわゆるマスコミへの露出もないし役者や歌手になったという話も聞かない。別に芸能界に入らなかったら立派だということではないがちゃんと成長されているんだろうと勝手に思っている。

また話がそれるがミスターポジティブの松岡修造がいる。あのひとは確か東宝もボンだったはずだ。あんなにカッコ良いのだから役者くらいやりそうなものなのに役者はやっっていない。アスリートのインタビューやリポーターでは長年ご活躍なのだが。

あのひとの内面がネガティブだとは思わない。だが表現として暑苦しい病原をしているひとの内面まで暑苦しい場合には見ていてツラくなるものだ。ツライというのは見ていられないという意味だ。だからあのひとの内命は「ガンバレ」というモノはないと思っている。これは私が勝手にそう思っているだけなのだが。

 

ひとも企業もそうだが時流というものがあるからそれに合わせて変わっていくし流されても行くものだ。それはそれで必要なことだ。そういうことを考えなおす年が「人生の再選択の年」である50才だ。「自分そもそもどういうひとだったっけ?」ということを考える年が50才。

私は後で気がついたが50才くらいの時にあることをしていた。私はどうやらそういうことをするひとだったらしい。