世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

シンギュラリティとイノベーション

落合陽一さんによればシンギュラリティは2025年なのだそうだ。ここでいうシンギュラリティとは機械(AI)が人間の能力を超えるポイントのことだ。

この話は前にも書いたがシンギュラリティを私はちょっと違う風に考えている。正直ネットで落合陽一さんの話を聞いた時にはイラっとしたのだが。

そもそも今の日本で(世界で?)は機械みたいになって働いている人たちがずいぶんいる。そしてそういう人たちの中には自分が機械みたいになっているという自覚がないひともいるし自分が機械みたいになっていることをスマートでかっこいいことのように思っているひともいるのだ。

佐藤愛子さんの本を読んでいて「そういう人いるよな」と思ってゲンナリした。佐藤さんがあるところで講演をされた。約1時間。講演が終わるとそこの担当の男性スタッフはスマートに「出口はあちらです」といったというのだ。1時間も話せば喉や口はカラカラだ。別にペットボトルのお茶や水を用意していても良いのだがその時には佐藤さんはそういうものを用意されてなかった。それで普通に帰られたのだそうだ。

その担当の男性は機械になっている。

私もこういう機械になっている人たちにはずいぶん会っているしずいぶん怒っている。でもこういうことで怒る自分がおかしいのかなとも思っていた。でもやはりそうではなかった。やっぱり向こうがおかしいのだ。思い出すと腹が立つので私が経験したことは書かない。それを思うと佐藤さんはよく書いたと思う。

佐藤さんが講演された時の男性スタッフのように機械になって働いている人たちはシンギュラリティで失業する。

 

今の日本は大変だ。でも今みたいな状況の時のアメリカも大変だったのだ。

イノベーションの話だ。昔ソニーウォークマンを開発した。ウィークマンはヘッドフォンステレオだ。カセットテープを再生するだけ。録音はできない。再生する時も基本ヘッドフォンでしか再生できない。スピーカーでは再生できない。私が言いたいのはウォークマンはアイディアだったということだ。ウォークマンに関する技術はあの頃にはすべて存在していた。そしてそういう技術をもっていたのはもちろんソニーだけではなかった。私はソニーウォークマンが変えずにアイワのヘッドフォンステレオを買ってずいぶん長い間使っていた。

日本のことはやっぱり自分の国のことだから冷静には考えづらいから外国のことを書く。アップルとマイクロソフトイノベーションを起こす気がないような気がする。パソコンはしょせんパソコンだしスマホはしょせんスマホだ。

ウィンドウズやiOSのバージョンが上がってもパソコンはパソコンだ。しかもウィンドウズやiOSのバージョンが上がるたびに天文学的額がマイクロソフトとアップルに入る。そういうこともあってサブスクリプションになっていったが。

テクノロジーは伝播するものだ。今の韓国の物価と賃金と技術状況ではもうスマホは簡単すぎるのだ。そう思っていたらサムスンを辞職したひとが中国でサムスンスマホそっくりなスマホを作ろうとして事件になった。

日本でもある時期には技術流出をずいぶん警戒したものだ。

イノベーションはゲームチャンジのようなものだ。イノベーションが起きないと(イノベーションを起こさないと)ひさすら高機能高価格を目指すしかなくなる。サムスンの新型スマホはおそろく高機能だ。だが当然高価格。しつこいがスマホはしょせんスマホなのだ。スマホでしかないのだから同じスマホなら安いスマホが欲しくなる。「じゃあ中国のスマホで良いか」と思うのは情だ。

 

最後にイヤミを書いておくと今のソニーウォークマンのようなアイデァアが出ても商品にならないような気がする。パナソニックでも。これはあくまでイヤミなのだが。