世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

今のテレビは昔の映画みたいだ イノベーション

私はある時に「テレビは厳しいだろう」と思った。8K16Kという話が出ていた時だ。昔の映画界が高画質映画を作った。テレビが出てきていたことが原因でもあった。ただ映画館が高画質映画を上映する施設を導入する余裕(主に金銭的な)がなかったために高画質映画は普及しなかった。その中の一本に「エルビスオンステージ」がある。

これはすごくいい作品なのでオススメする。

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とはいえテレビが斜陽というのは残酷な話だ。私がそう思ったのは日本映画のことを覚えていたからだ。日本映画は1984年から復興する。復興というのは大げさではない。本当に復興した。1984年に公開された映画は感覚が新しかった。

伊丹十三監督「お葬式」、和田誠監督「麻雀放浪記」、澤井信一郎監督・薬師丸ひろ子三田佳子Wの悲劇」、宮崎駿監督「風の谷のナウシカ」、押井守監督「うる星やつら2ビューティブルドリーマーズ」、大森一樹監督・吉川晃司「すかんぴんウォーク」

こんなにいい映画が揃うのかというくらいにこの年に良い映画が公開されている。

ある時の日本映画では松竹は寅さん、東宝ゴジラ黒澤明東映は時代劇から任侠路線への流れがあった。こういう路線で新しい方向性が出せなくなっていた。そしてそういう映画にどこか依存していたのだ。依存というといいすぎかもしれない。新しい感覚が出てこない状況だった。

それがなぜか1984年に新しい映画が出てきた。

石原プロというところがある。石原プロはマネージメント事務所でもあるが石原裕次郎が作った制作会社だ。石原裕次郎はスター、演者だ。上がってくる企画や脚本を見て「違う」とかしか思えなかった。でもただ「違う」といっているのも無責任だということで自分で映画をプロデュースすることにした。それで作ったのが石原プロだ。

当時ありえないくらいの妨害工作があったそうだ。こうやって作られたのが「黒部の太陽」だ。

黒部の太陽

討論番組等で活躍されていた大島渚はある経緯があって独立プロを作った。この経緯は勉強不足で今は書けない。

日本映画界としていろいろやっていたのだが映画界としてずっと調子が悪かった。

ハリウッドもそうだったようだ。シャーリーマクレーンの本を読んでいた。

アウト・オン・ア・リム (角川文庫)

ダンシング・イン・ザ・ライト―永遠の私をさがして

これはシャーリーマクレーンのスポリチュアルな本だ。この本の記述によると1980年代には1950年代に比べると映画の製作本数が3分の1になっていたそうだ。

そして初期の映画は続き物だった。これはすごく初期だ。連続モノ。

そしてスピルバーグジョージ・ルーカス、コッポラたちの世代の監督が出てきて復興した。復興と言っていいだろう。これは明らかに世代の問題だった。そしてこの人たちは全員映画オタクだ。この世代が重要だった。

企業として考えた時に松竹は不動産事業がある。東宝はもともと鉄道会社が始めている。東映には京都があるし別の事業もあるのだろう。この三社はコングロマリットだ。だから企業として生きのこった。

だが苦しく厳しい時期が長かったのだ。そしてどうしてもそこから抜け出せなかった。

それが日本では1984年に、アメリカではスピルバーグ、ジョージルーカス、コッポロたちの世代の登場で復興している。

さっきちょっと書いたが復興した後の映画は昔の映画とは違っていた。私は映画は年末年始や夏休みに見に行くものという風にいまだにどこか思っている。でも今はそんなことはないはずだ。

 

タイトルにイノベーションと入っている。イノベーションが起きないとひたすら高性能を目指すしかない。

ソニーウォークマンを大ヒットさせた。ウォークマンはヘッドフォンステレオだ。録音もできない。基本ヘッドフォンで音楽を聴くだけのものだ。これが大ヒットした。ウォークマンに関するテクノロジーはほとんどの家電メーカーは持っていた。

私はソニーとアップルにたいする悪口がある。「ソニーもアップルもイノベーションを起こす気がない」という悪口だ。イノベーションが起きる(イノベーションを起こす)とゲームチェンジが起きる。だからひたすら高性能を目指す路線から外れるのだ。

ソニーウォークマンは当時の技術状況では高性能どころか低性能の商品だった。それで大ヒットしたではないか。