松本人志と紅白とコメンテ−タ−・ネタトーク時代の終焉
日本でいつからかこういうことが続いている。事件(?)が起きる。今回は松本人志が女性にひどかったという話のようだ。
このことについて私は知らない。知らないというのは事実がどういうことになっていたのか私にわからないという意味だ。
そういう私でも今回の件にコメントすることは可能だ。
テレビは視聴者の集中力が数秒しか持たないと言われている。6秒や7秒が視聴者の集中力が持つ限界らしい。だから「許せません。あんなの人間じゃないです」であるとか「政府は何をやっているのでしょうか」程度しか入らないのだ。
見識があってテレビでコメンテーターをやっている人たちはそういう技術(6、7秒に発言をまとめる技術)があるはずだ。
だがいつの間にはこれが反転している(こういう言い方が適切かどうか不明だが)。そもそも6、7秒のコメントをする(あるいはそういう発想しかない)人たちが世間にそうとういるのだ。
ここ数年で私は何回か切れている。その原因の一つがこれだ。私が何かいうとある人タイが一言いうのだ。その一言が失礼だったり的はずらだったりするから私は怒っていた。
私からすればそんな一言はいう必要がないからだ。
またネタトークをしたがる連中にも何度か切れた。当時私は病状が悪かったのだ。病状が悪いから安静にしたいだけなのだ。なのにそういう連中は私にネタトークを効かせていた。「こないだこんなことがあって」のような。
簡単な話聴いていてコッチがツライのだ。あるヤツには詰問した。
「なんのつもりだ」と。ヤツは「喜んでもらおうと思って」と言っていた。こっちは苦しかった。
ああいう連中がコミュ症だ。口下手がコミュ症ではない。コミュ症というのはああいう連中だ。
たまたま私の病状が悪くてつらかったから切れて、そういう連中とは付き合いがなかった。
そう考えると病気のおかげで奴らとは縁が切れたのだ。
しつこいが松本人志の今回の件については私はわからない。まず事実を知らない。
でもコメンテーター時代とネタトーク時代が終わった気がする。
テレビもコメンテーターとネタトークに覆われているはずだし、そういうテレビ番組を多くのひとは観ていないのだ。
そして去年の紅白(私はまだ観ていないが)を観た人たちは「面白かった」と言っている。
こういうことはあなどれない。
ちょっと前だったら紅白そのものよりも紅白について云々いうこと(つまり紅白についてのコメントや紅白に関するネタトーク)の方がおもしろかったはずなのだ。