ここ数年「〇〇が・:・と言った」ということが話題になっている。事件はずっと起きているのだが事件よりも「〇〇が・・・と言った」ということの方が話題になっているのだ。
この〇〇に入るひとをここではパワーコメンテーターと呼ぶことにする。
パワーコメンテーターといえるようなひとを以下に列挙する。
こういう人たちだ。
こういうパワーコメンテーターの中の松本人志が(いわば)やられている。
和田アキ子に対する批判もあるようだ。
パワーコメンテーターという立場ではないのだが宮根誠司もやられた。
やられてというより狩られた。
そう考えると今起きていることは炎上ではあるのだがパワーコメンテーター狩りだ。
今はパワーコメンテーターが狩られているが次は一般のコメンテーターたちが狩られるはずだ。
こうなるのは「コメントはもう良いかな」という時代の気分の現れだと思うのだ。
ヤフーもコメントの質を欲しようとしているようだ。だがすごく簡単なはsにだ。取材すれば良い。
ある事件(?)に対して多くのひとがどう思って居るのかを問題にするのではなく事件取材をすれば良いだけの話ではないか。
ただこういう状況に立ち至るためには今のようなプロセスが必要なのだろう。