世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

自己啓発と社会批判:内なる声と現実の対立

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上は集英社オンラインの記事をヤフーが引用したものの引用だ。

まずこういう方法自体考えた方が良いと思うのだ。方法というよりやり口。

日本の問題点を渡辺謙に語らせている。そうなのだがそういうことを言いたいのは多分インタビュアーの方だ。インタビュアー(あるいは編集者)が言いたいことがあってそれをいう度胸がないから有名なスターの渡辺謙に語らせている(のだとしか思えない)。

 

もうこういうことは辞めたらどうだ。あまりにも姑息だ。

 

それはともかく。前に元県庁職員と離していた。彼はワタシよりちょっと年上だが同世代のひとだ。彼が「県庁はマイナス査定だ」と言っていた。

マイナス査定というのは良いことは査定の対象にしない。そして悪いことや問題があることだけを査定の対象にすることだ。

こういうふうな査定だと最高得点は0点になる。というよりマイナス査定だと最高得点は0点にしかならないのだ。

 

この問題は日本社会の隅々にまで存在している。

 

前に駅で(電車の中で?)若いひとから注意されて切れて注意した若いひとに暴力をふるったヤツがいた。

ワタシはこういうことを負のディールと言っている。マイナスの取引だ。ワタシにもこういう時期はあった。暴力は振るわなかったが。こういうふうになってしまうのは普通は腐っている時だ。悪いこと、イヤなことしか見えなくなってしまうことが多くのひとにあったはずだ。そういう状況を普通は腐っていうという。ワタシも腐っている時にはそういうふうになっていた。

人間は論理的な存在だ。意味不明にしか思えないことでもなんらかの論理の筋があるものだ。そして一番怖いひとは論理の筋がわからないひとだ。

 

ある世代の若いひとが先輩から食事や酒に誘われても断ることがあった。先輩と一緒のいれば気も使うし疲れる。だから彼らは先輩からの食事や酒の誘いを断るのだ。でも

そういう誘いを断わって一人で部屋にいたって大して楽しいことがあるわけではない。先輩と一緒に食事をしたりお酒を飲んでいれば当然楽しいことや面白いこともある。だが彼らにはそういうことが見えなくなっている。だから彼らはそういうふうにしていた。(おそらくこういうことはもう過去の話だ)

そういう彼らもやはり「負のディール(マイナスの取引)」をしている。

 

だけど彼らを年長者が責めることはできない。さっき書いた「マイナス査定」が日本のスタンダードになっているからだ。しつこいが「マイナス査定」だと最高得点は0点だ。最高得点が0点にしかならないのが「マイナス査定」だからだ。

 

囚人と看守というタトエで考えてみる。優秀な囚人は看守のいうことをよく聴く囚人だ。そうしないと刑務所から出ることができない。だから多くの囚人は優秀な囚人になってしまう。だが優秀な囚人になってしまうがいざ釈放されて普通の生活を送ろうと思う場面になってうまく行かない。命令や支持を出す看守が刑務所から出るといなくなるからだ。

これを「優秀な囚人のパラドックスとよぶことにする。

 

どうやらいつの間にか日本のメイストームが刑務所状態になっている。いつからか日本のメイストームでは誰か(刑務所でいえば看守)の命令や指示を聴くようなひとがうまくいくようになっているのだ。この誰かというのはクレーマーかもしれないしネット民かもしれないし文春砲なのかもしれないしパワーコメンテーターかもしれない。

 

 

フーコーが「監獄」に注文している。


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監獄では看守は見ていて囚人は見られているのだが囚人はいつどういうところを見られているかわからない。さっき書いた査定という言葉を使うと刑務所から出るためには看守か良い査定を受ける必要があるのだ。そしてその看守は囚人をいつ見ているのかわからない。(囚人は自分のどういうところをいつ看守に見られているのかわからない)そうすると実際は看守には見られてないとしても看守が良いと思う(だろうこと)を行うしかなくなってしまう。これをフーコー内面化と言っている。

 

監獄や囚人というと怒るだろつがある種の企業で「なんであのひとが出世したのかわらない」ということがある。だがなんらかの理由があってそのひとは出世したのだ。でもあるひとが出世した理由がわからない場合に勝手に「こういう理由であのひとは出世したんだろう」と考えてしまう。こういうことを考えるのは普通のことだ。

 

こういう場合にさっき書いた「内面化」がおきる。いわば勝手にそのひとが考えたあるひとが出世した理由に従ってしまうしそういう理由に従った生活を送ってしまうのだ。だがそのひとが考えたあるひとが出世した理由が本当にその企業での出世の理由なのかどうかは不明だ。

 

そして重要なのはそういうふうにしろとは誰も指示も命令もしていないということだ。誰からも指示も命令もされていないのそのひとは指示や命令に従ってしまう。

 

このことをフーコーは指摘した。

 

ワタシジシンが「内面化」していた時期もある。それはワタシが長く病んでいるからだが。でも今から思うと運が良かったが医療か福祉から離れた。別に意図的にそうしたわけではなかったのだが。

 

そして繰り返しになるが今のワタシからみると今の日本のメインストリームにいる人たちは囚人のようになっている。彼らは実際なにかでひどく叩かれているのだがどういう基準や理由で彼らが叩かれるのかは誰にもわからない。叩かれるのは企業の場合もあるし有名人の場合もあるしある役所の場合もあるし事件の被害者やご遺族の場合さえあるのだ。

 

こういう状況では「なぜあのひとは(あの企業は)叩かれているのか」と考えてしまう。考えてしまうからさっき書いた「内面化」が起きるのだ。