世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 37

M君という友人がいて彼は歯が汚かった。それは私も同様だったし今も歯は汚い。ちゃんと歯磨きはしているのだが。最近気がついたのだが唾液があまり出ていなかったのだ。唾液がでてなければ歯磨きをしても歯は汚くなるのは当然のことだった。ジストニアに関しても唾液がでない(でなかった)ことに関しても本病なのか薬の副作用なのは不明だ。

余談だが「一つだけやれば良い」ということ(?)は全部違うと思う。メンタル以外でもだ。

病院にかかればいい。

薬を飲めばいい。(薬をやめればいい)

カウンセリングを受ければいい。

仕事を休めばいい。(働けば良い)

こういうことを一つだけやれば良いというのは全部違うと思う。

ただ私の場合は病気をして苦しくもあったし歯がゆくもあったのだが病気が天の助けだったのかもしれない。

私は世代でいうとバブルだ。バブルは人手不足世代なのだ。前に同世代と話していて「病気してなかったら死んでたんじゃないですか」といわれた。今もそういうひとがいるだろうが風邪くらいでは休めなかったしそういうことは良い立派なことだと私の世代の多くは信じている。

もちろん事実私は努力をしてきた。(私みたいなひとに実際たくさん会った。ああいう人たちに会ってながったら私はおかしな方向にいっていだろう)だからチカラがついたのは事実だ。だがそういうことにも限度がある。

話がそれるがポジティブシンキングで楽しい方が良いという。これは楽しんであるコト(たとえば仕事)をやっていれば徹夜してもたいして気にならないという意味で楽しい方が良いという意味であるはずだ。好きなことをやった方が良いというのも同様だ。

だが私と同世代前後にそもそも努力をしなかった人たちも大量にいる。そういう人たちが年を取って厳しい状況だとしても私は優しい気持ちにはなれない。それはムリな話だ。

それはともかく。ある年齢の時に知人がメールかラインで「土本さんもがんばってください。オレもがんばります」という文章をおくってきた。当時はその文章を見るだけでつらかった。そのひとは同世代で何か病気はあるひとなのだがどういう病気なのかは不明だ。そのひとがある時に「精神対話士(?)が最低時給になるのが夢なんです」といってハハハと笑って立ち去っていった。精神対話士というのはアマチュアカウンセラーのようなものらしい。その時私は身体慣らしのためにA型事業所に通っていた。A型事業所は最低時給だ。

こういう人たちには私が何かいおうと思ってもムリなのだ。自分の言いたいことだけいって立ち去るからだ。

1980年代だったら同じ仕事をしていてもアルバイトと正社員では給与が平気でひと桁違っていた。そういうことが会って私は組合には私怨がある。「連合」と聞くと正直言い気持ちにはならない。

事実がどうだったかはわからないが私みたいなひとがもっと前に頑張っていてもあまりうまくいかなかったようだな気がする。それは80年代負け組の怨嗟が深いということも事実あるがそれだけではないと思う。世の中の仕組みがそうだった。

ある種の企業で早期退職の募集をかけると多くの希望者が出ている。それどころかキャリア官僚までやめるひとがいる。そういうひとたちが10年目くらいに辞めている。だから「これから」という時に辞めているのだ。「どうしたものだろう」というひともいるのだが彼らは見限っているしおそらく見限られて当然の状況なのだ。

これはほんとうに大変なことだ。

昔「マルサの女」という映画があった。「マルサの女2」では宗教法人がでてくる。その教団の信者がわけのわからない身体を動きをする。ああいうことを生長の家では自動体操という。揺り戻しのようなことが起きる時にああいうふうになると。ああいうこと経て不幸や病気が嘘みたいに消える人たちが大量にいたのだ。ただ長くそういうことはなかった。事実そういうことがある時期にはなかったのだ。でもある時期からそういうことがポチポチでている。どういうことが原因なのかは不明だ。

だがああいうことがある時期に起きてある時期には起きないのは事実としてそうだ。

まったく不明なのだが地球規模でなんらかの変化が起きている可能性がある。ある時代には地球上の多くで戦争をやっているのだ。歴史上そういう時期が過去に何度もあったし今もおそらくそういう時期だ。

 

話を戻す。何度も書いているが50代は怒り死にしそうなくらいに腹が立っていた。でもそれがだんだんおさまってきている。こういうひとが昔もやはりいたらしい。亭主がそういうふうになって女房がほんとうに困ったという話がある。

 

昔からいうことには理があるものだ。「三つ子の魂百まで」という。三才の時のそのひとの感じはずっと変わらないものだという意味だ。私は子供の頃明るい子だったらしい。私は還暦だが還暦というのは一回りして子供に(赤ちゃんに)帰るという意味であるはずだ。だから赤い服を着る。私が還暦で回復しているのもわけがあることだと思う。