思考の枠組みの変更 今は構造主義
日本では1980年代にありとあらゆる言説がフォーマットにはまってしまった。昔お昼のバラエティ番組「笑っていいとも」で田中康夫と山本コウタオウが対談(討論?)をしていた。久米宏がニュースステーションをやっていた。そういう言説のすべてが雛形にはまっていた。そうじゃない言説を多くのひとが求めていたがそれが見つからなかった。
内田樹の寝ながら学べる構造主義を最近読んですごく勉強になった。
マルクス主義のあとは構造主義だ。そういう言説の在り方だという意味なのだ。ある言説の在り方だけがある時代には存在する。そうじゃない言説の在り方は存在しないのだ。今は構造主義だ。構造主義は自分はこう考えているが相手は違う風に考えているし、こっちの正義と向こうの正義とは違うということが自明だ。もちろんこういうことを相対主義n陥っていると批判するひともいる。ただ問題は思考の枠組みなのだ。
私たちはある思考の枠組みがないと考えられないのだ。
だから個別の言説ではなくて個別の言説の背景にある思考の枠組みを問題にする必要がある。
しつこいが今は構造主義という思考の枠組みで私たちは考えている。