政治家とメディアの関係を考える
安倍政権の時から首相官邸」というツイッター(いまはX)アカウントがある。私はこういうことをどう考えていいのかわからなかった。
Listening:<メディアの戦後史>佐藤栄作首相の退陣会見 新聞嫌い、記者に「出ろ」 | 毎日新聞
上は毎日新聞の記事だ。佐藤栄作がある記者会見で「私は新聞が嫌いだ」といって新聞記者たちが記者会見場から出ていくという事件(といっていいだろう)があったのだ。このことで佐藤栄作は「新聞嫌い」ということになっている。
ただこの時にはテレビが出てきているのだ。佐藤栄作はテレビカメラを通じて直接国民に話を聴いてもらうつもりだったのだ。もちろんこういうことには問題もある。だが時代が新聞からテレビへと移行する時代の出来事だったのだ。
サンプロ現象 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス
上はイミダスよりだ。サンプロ現象なるものがあった。サンデープロジェクトで田原総一朗が大物政治家にインタビューをしていた。そこでの政治家の発言が注目されていたのだ。この時新聞記者はテレビを見て記事を書いている。そしてその記事によって政治家が追い詰められることもあったし政界に波乱がおきることもあった。
だがニュースソースがテレビだったら一般の人間もテレビを見るはずだ。(新聞ではなく)
この記事を書いている時には週刊文春が話題になっている。ワイドショーだけではなくストレートニュースも週刊文春の記事を取り上げている。私自身週刊文春も週刊新潮もすっと呼んでいなかったのにテレビであんまり「文春砲」というから週刊文春や週刊新潮を買っている。毎週毎週ではないが。
またテレビで「ネットによれば」というのでネットの情報を見ることもあった。
変な言い方かもしれないがテレビはここ数年間週刊文春とネットの広告を行っている。金額に換算すれば大変な額になるはずだ。
ニュースソースが週刊誌やネット情報だったら一般の人間は週刊誌やネットを見るはずだ。テレビではなく。
そしてはなしは最初に戻る。首相官邸というアカウントで国の権力者が直接国民に話を聴いてもらうことをどう考えるのか?という論点がある。事実こういうことがいまはできるのだからこういう現実にどういうふうに対応していくのか議論をする必要があるのだ。
それは昔佐藤栄作がテレビがもう出現していたのでカメラを通じて直接国民に話を聴いてもらおうとしたことを「新聞嫌い」ということでしか語ってこなかったことのツケでもある。
メディアというよりメディア論としての「トランプ現象」だ。
アメリカではトランプさんについてよりもバイデンさんについてかもしれない。バイデンさんの不人気ぶりがすごいらしいのだ。このことについて日本のマスコミはあまり報じない。
大手新聞各社も大手テレビ局もワシントン支局を持っているはずだ。局によってはニューヨークにも支局があるはずだが。日本の大手マスコミはいまはそういうところがもう支局がないのかな?イヤあると思うのだ。そういうところの人たちは何をしているの?ワシントン支局長は出世コースのような気がするのだが、そうじゃないの?知らないが。そういうところの人たちは何をしているんだろうか。もちろんこれはイヤミでもあるが素朴な疑問でもある。
メディア論としてのトランプ現象だ。トランプさんはワイドショー的な世界では間違いなくキングだ。ワイドショー的な世界での戦いを前提とするのならばトランプさんに勝てる可能性を持っている候補は①若い②マイノリティの③女性だ。それはそうなるだろう。だがそもそもワイドショー的な世界を前提にしていることには疑問がある。
メディア論という意味でいうとケネディさんはどうだったの?という論点がある。当時はラジオで党首討論を聴いているひとも多かった。ケネディさんとニクソンさんが党首討論を行っている。もちろん同じ党首討論だから同じコンテンツなのだ。だがラジオで党首討論を聴いていたひとのほとんどは「ニクソンさんの圧勝だ」と思った。だがテレビで党首討を観ていたひとの多くは「ケネディさんが良い」と思ったのだ。
このことにまでさかのって考える必要があるのだ。
考えようによってはこれはメディア論でもあるしルッキング問題でもある。若くてカッコいいケネディさんがテレビ映えがよかったのっだ。
「ばえる」ひとが政治家として優秀だとは言い切れないはずだ。
世界中の女性トップの中で(おそらく)一番評価が高かったのはメルケルさんだ。これもメディア論だ。メルケルさんはオバチャンぽい。ダイエットを気にしながら何か食べてそうだ。メルケルさんの高評価にはメルケルさんのメディア(オバチャンぽい)ということが大きく関わっている。そうだと思うのだ。だがメルケルさんがオバチャンぽいからといってメルケルさんの政治姿勢(コンテンツ)が中道だとはいえない。
日本のトップでいえば村山さんがメディア論という意味では興味深い方だった。社会党の方だったわけだからアメリカで「日本のトップが共産主義者で大丈夫なの」という声があったのだ。だが村山さんの姿をみて「南部の農夫みたいなひとだ」ということで安心されている。実際派手にも暮らしていらっしゃらない方だ。だがそういうことと村山さんの政治家としても思想や実力とは必ずしも重ならない。
メディア論の大家マクルーハンの本はいまは一般的ではないかもしれないが「9割本」なるものがある。「〇〇が9割」のようなタイトルの本だ。ああいう9割本のなかに「伝え方が9割」という本がある。
ああいう本でいう「伝え方」がメディアだ。コンテンツビジネスという。コンテンツは中身内容。実際にメディアが9割でコンテンツが1割なのかどうか私は知らない。
メディアとコンテンツのバランスについて私たちは考える必要がでてきている。