世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

これは私の曲解だと思う 疎外

これは私の曲解なのだと思う。私の間違いだと思って読んでほしい。

疎外という。ここには私の信仰の問題が入ってくる。牛や馬が草を食んで暮らしている。ああいう動物は人間みたいに悩んだりしない。ああいう在り方の方がいろいろ考えて悩んで欲や夢に追い立てられて暮らすよりも幸せなのではないかと思う。というよりこういうことを昔生長の家の本で読んでいた。だが長年そうは思えなかった。でも最近やっぱりそうなのかなとちょっとずつ思い始めている。疎外という時にはこういう人間観があるような気がする。そもそもだ。

私みたいなスピリチュアルのひとは藤井風が好きなのだがそういうことが藤井風には迷惑だろう。

私は10代の頃から啓蒙思想が好きではなかった。ウチと育った地域が浄土真宗だったからだと思う。浄土真宗の思想を知る前から感覚が浄土真宗の感覚だったのだ。たとえばお葬式に行くとお清めの塩をもらう。みんな気持ち悪いだろうと思って塩でお清めはするが私自身はお清めの必要性を感じなかったし今も感じないのだ。あれもそうだ。喪中だから云々ということ。感覚的に必要性を感じない。

若い人たちは知らないだろうがハナ肇とクレージキャッツというグループが昔人気だった。元祖ドリフターズみたいなグループだ。クレージキャッツの曲に「スーダラ節」がある。歌詞は青島幸男だ。スーダラ節の歌詞に「わかっちゃいるけどやめられない」とあるのだ。クレージキャッツのボーカルの植木等がこの歌を歌うことについて悩んでお父様に相談した。植木等のお父様は浄土真宗の僧侶だった。お父様は「歌詞を書いた青島幸男は天才だ。これは親鸞聖人のお考えだ」といったらしい。

「わかっちゃいるけどやめられない」ということは「わかったくらいではやめられるものではない」ということだ。

啓蒙思想を私は「それが悪いことだとわかればそういうことはやめる(あるいはやめられる)」という思想だと考えていたのだ。だから「イヤわかってくらいではやめられないんですが」と思って啓蒙思想に批判的だったのだ。

もちろん「わかっちゃいるけどやめられない」のだとすると葛藤が生じる。自分の中で「これは悪いことだからやめたほうがいい」という自分と「でもやってしまう」という自分がぶつかり合うのだ。この矛盾葛藤を抱えこむのはとてもツライ。これでとことん苦しむと「もうこういうのは良いや」ということになるのだ。

すると藤井風の歌のように「帰ろう」ということになるのだが。


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こういうこと(矛盾葛藤を抱え込むことをとことんやった果てに)牛や馬の方が立派なのかなと思っているのだ。

 

疎外のそもそもの意味は不明だが疎外は恵まれた状況であろう。牛や馬より人減の方が恵まれているはずだ。こういうことを書くつもりはなかった。

私は若い頃からいろんなことがあった。イヤなことや恥ずかしいことが多かったし人を傷つけたり苦しめたりしたことも多い。だからそういうことがあったことは自慢にはならない。

ある年齢を越えて「この人たちはあんまりそういうことがなかったんだ」という人たちに出会い始めた。そういう人たちは普通にいうと恵まれている(恵まれていた」ひとったちなのだ。

これは思想の右左とは無関係だ。名前を出すが女性学者の上野千鶴子東京オリンピックに反対だった。反対だったら東京オリンピックが開催できないようになんらかの形で追い込めばいい。でもそういうことが上野にはできなかったし。そういう面倒なことをしてこなかったからだ。そういうことせずに済んだのは上野がずっと恵まれていたからだ。

橘霊が上級市民といっている。

言ってはいけない―残酷すぎる真実―(新潮新書)

この本も大ヒットした。この本では努力すればなんとかなるであるとかポジティブなことを考えればなんとかなるというのは嘘だということだ。

ただ上級市民たちは当然恵まれている。恵まれているからやらなくていいことがたくさんある。でも下級市民はいろいろやらなきゃいけない。そういうことをやっているウチに下級市民はいろいろできるようになっていく。そして上級市民は上野のようにできなくなっていく。

今の日本では女性に有能なひとが多い。それは多くの女性が下級市民だからだ。議論してても仕事はなくならないし終わらせなきゃいけない。そういう仕事は下級市民がやることだ。

繰り返しになるが下級市民はいろいろやらなきゃいけない。そういうことをやっているウチに有能になっていくのだ。

しつこいが疎外は恵まれているひとが恵まれている状況を捨てられないことで起きる。すくなくともこの文章ではそういう話になっている。

大友克洋の「アキラ」が今の世界を予見していたということで話題になっている。アキラは増税して景気が冷えてしまった日本という接待なのだ。


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アキラの中にとても有能なのだが子供のままの人々が出てくる。彼らはあるところから外へは出られない。でも特殊な力はもっている。彼らもやっぱり疎外されているのだ。彼ら(特殊な力はもっているが子供のままの人々)が実際外に出られないのかどうかは実は不明だ。

メタバレになるから結末は書かないがアキラで結局勝つ(生き残る)のはある種の人々だ。それは少年マンガの王道ではあるのだが。