前に住んでいたところの近所にスーパーがあった。そのスーパーが店を引いたのだ。店がなくなったからといって必ずしも倒産したわけではない。店を引くということもある。
話が逸れてしまうが人間誰もが「損切り」が苦手だ。損切りというのは今は損なのだがこれから頑張ると損を取り返せることができるかもしれないときにあきらめることだ。大島弓子の「毎日が夏休み」にも損切りの話が出てくる。佐伯日菜子・佐野史郎主演で映画にもなっている。
毎日が夏休みでは主人公の女子高生は学校でイジメられている。また父親は会社でイヤなことがあまりに多い。それで女子高生の彼女は学校に行かないと決めるのだ。学校の前まで行って「さようならイジワルな人たち」とだけいって。父親も会社に行くのを辞める。
彼らはガンバレば学校生活や会社の状況がよくなるかもしれないのだ。つまり今投げだすのは今までやってきたことや今まで耐えてきたことや今まで苦しんできたことが無駄になってしまう。そして彼らは学校や仕事を無責任に投げ出したともいえる。
「損切り」の難しさはこういうことからもわかる。
ギャンブルでいうとすでに10万負けている時に辞めるかどうかということだ。これからさらに賭けると10万を取り返して50万稼げるかもしれない。こういう時に辞められるかどうかということだ。
モノづくりでもこういうことはある。ある方向でモノを作ってきた。それを3年やってきたのだが「この方向でやっていても結果がでない気がする」と思った時に3年やってきたことを捨てることができるかどうかが問題になる。今までの苦労は無駄になるが3年やってきいたことは捨ててまたゼロから作り始めるかどうかだ。優れたクリエーターたちはこういうときに捨てることができるものだ。
そのスーパーの店長は良いひとだった。良い人だったからいろんなひとを雇っていた。スーパーに倉庫があってその倉庫は外から見えるのだがスーパーの倉庫に結構スタッフがたまっていることがあった。スーパーでは店内放送を行う。私もやったことがあるがあれはちょっと恥ずかしい。店長が基本やっていたが他のスタッフにやるように言っても他のスタッフはやりたがらなかった。レジが混んでいてもヘルプに入るのは店長だけで他のスタッフは入っていなかった。男性スタッフがすぐタバコやいろいろでさぼってしまっていた。レジをやっていた女性がそういうことで怒っていた。
しばらく経ってある男性スタッフが入った。入ったのだと思う。それからしばらくして店はなくなった。
知らないが社長は店長の「勉強代」だと思ったはずだ。おまけに言いスタッフまで見つかったわけだからいいという判断だったのだと思う。そして「損切り」だった。
こういうことも「損切り」だ。
そしてこれくらいのことをしないとひとは育たないものでもある。