世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

契約と宗教

今朝武田鉄矢今朝の三枚おろし旧約聖書を取り上げていた。ワタシレベルの薄い知識で聖書やユダヤ教キリスト教イスラム教について語るのは・・・と思っていたのだが、ちょっと書いてみる。

旧約聖書新約聖書という。この約だ。この約を契約だと考えるとわかりやすい。

唯一絶対神との契約なのだと考えるのだ。

するとユダヤ教の立場では旧約聖書の契約が重要だ。

キリスト教の立場ではイエス様が唯一絶対神と新たに契約を結んだのでイエス様が結んだ契約が重要だ。

でもイスラム教ではイエス様の後にムハンマド氏が新たに唯一絶対神と再契約をしたのでムハンマド氏が結んだ契約が重要だ。

契約の相手は同じ唯一絶対神だ。だがそして同じ唯一絶対神相手の契約なのではあるがどの契約が重要なのかというふうに考えてみるのだ。

 

これ以上詳しく書くと言葉が刺激的になるのでこれ異常は書かない。

 

次は個別の話だ。旧約聖書にオナンというひとが出てくる。彼は相続の問題を抱えていた。それである女性と性行為をしたのだが膣外射精をした。これが一応論拠なのだが「子をなさないセックスをしてはならない」という考えがある。ただこの考えは本来のキリスト教の考えなのかどうかは不明だ。

オナンという名前からオナニーではあるのだが。

子をなさないセックスという意味だと

いわゆるオナニー、膣外射精、避妊、人口中絶、同性間のセックス

はすべて同じだ。

問題は「子をなさないセックス」だからだ。

「子をなさないセックス」という意味では老人のセックスもここに含まれる。

アメリカの保守的な人たちが人口中絶と同性愛について否定的だ。あの論拠はこれなのだ。彼らは保守だから人口中絶と同性愛に対して否定的なわけではないのだ。彼らは「子をなさないセックス」に否定的なのだ。

 

日本人は普通にダブルスタンダードだ。たとえば日本の結婚式だ。日本の結婚式ではいわゆる結婚式と披露宴がセットになっている。いわゆるグローバルスタンダードな結婚式は日本の結婚式でいう披露宴だ。酒を飲み歌って踊るのは祭だ。ああいう祭をもって結婚式とすることが一般的になっている。もちろんユダヤ教キリスト教イスラム教は違う。

祭の主催はキツくて大変なものだ。

日本人も伝統的にはいわゆる披露宴を結婚式だとみなしてきた。でもいわゆる結婚式も執り行う。今はチャペルであげるひとが多いと思う。だがお寺での結婚式もあれば神社での結婚式もある。

じゃあいわゆる結婚式だけでいいではないかというとそういうわけでもなく披露宴も執り行う。じゃあいわゆる披露宴だけでいいかというとそういうわけでもない。

 

これが日本人のダブルスタンダードぶりだ。

 

広い意味での宗教性とは無関係ではいられない。

そしてワタシタチがみずからの宗教性に無頓着なのだ。

たとえば日本人にとって「ご飯を汚す」のはタブーだ。カレーライスをグジャグジャにして食べての良いはずなのだが多くの日本人はそういうことはしたくない。これは広い意味での宗教性なのだ。

バスタブのお湯の汚すのも同様だ。一人でお風呂に入るのならバスタブのお湯を汚しんがら身体を洗ってシャワーを上げて身体をキレイにしてもいいのだからそうはしたくない。これもタブーで広い意味での宗教性だ。

 

裁判員制度もやはり宗教性の問題だといえる。

一つの考え方として「特別なことは特別なひとにお願いする。そして一般のひとは特別なことには間接的に関わる(直接はかかわらない)」というものがある。

ここでいう特別なことの代表は死だ。

今の日本は「死」のような特別なことには(主に)医師と法律関係者が関わる。今の日本ではそうだ。そして医師と法律関係者の社会的ステータスが高いのはインテリ仕事だからではない。「死」のような特別なことに直接かかわる人たからワタシタチは彼らに高い社会的ステータスを差し上げているのだ。

そしてワタシタチが無自覚に医師の法律関係者に「高い社会的ステータスを差し上げている」のは広い意味での宗教性なのだ。

だが裁判員制度では一般のひとが直接「死」のような特別なことに関わる。

 

裁判員制度に関する議論があいまいになってしまうのはこのあたりの宗教性にワタシタチが無自覚だからだ。

そして裁判員制度に関してワタシタチは上に書いたように「特別なことを特別なひと(今は医師と法律関係者だが、今度違う違うのひとにお願いするにしても)に関わってもらって一般のひとは直接は関わらない(間接的に関わる)」のかどうかという観点で考えるのが筋なのだ。

 

これがキリスト教イスラム教の違いでもある。イスラム教には聖職者がいない。神父さんや牧師さんのような存在がいない。近いのはイスラム教学者ではあるがイスラム教学者はあくまでも一般のひとだ。だから構造上一般のひとが死のような特別なことに直接かかわる。これがキリスト教の立場からするとひどい違和感があるようなのだ。言葉にすれば「危険だ」ということになる。

これはワタシタチが裁判員制度に対して言いよどんでしまう感じにとても近い。

 

さっき書いたようにキリスト教がイエス様が唯一絶対神と新たに契約を結んだと考える以上、イエス様の後に新たに唯一絶対神と契約を結んだという人物が現れたという考えを100%否定することは難しくなる。そしてイスラム教がムハンマド氏がイエス様の後に唯一絶対神と再契約(というと不謹慎だが)を結んだという考えなのだからイエス様、ムハンマド氏の後に唯一絶対神と再契約を結んだという人物が現れたという風に考えるを100%否定することもやはり難しくなる。

 

 

 

ワタシは浄土真宗の信徒で生長の家の師友だ。生長の家は長年極右だった。

 

日本人の多くは先祖崇拝という信仰(?)をもっている。この先祖崇拝という信仰のあり方を論点にする必要があるのだ。

 

https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/explore-20230626/

上はJAMSTE-BASEの記事だ。生命の起源に関するインタビューだ。海洋研究開発機構JAMSTEC)超先鋭研究開発部門の渋谷岳造(しぶや・たかぞう)主任研究員のインタビューだ。

取材・文:福田伊佐央 撮影:柏原力(講談社写真部)

 

海彦山彦という物語がある。神話だ。海彦は南方系の神話、山彦は北方系の神話。海彦の神話だと先祖は海の向こうからやってきている。山彦の神話だと先祖は天(空)からやってきている。

 

これはイメージの問題なのだが


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ワタシは子供の頃銀河鉄道999を見ている。松本零士は宇宙を海のようなとらえていたと思う。こういう影響はとても大きい。こういうことがワタシの世界観にまで影響を与えている。「宇宙=海」とワタシはいまも考えているようなのだ。

 

ある時からワタシはは占いの本を読んでいる。ゲッターズ飯田の占いは陰陽五行思想だ。なのだがゲッターズ飯田はその自覚はないかもしれない。

五行だから五種類。その五種類に陰と陽がある。だから10種類になる。

ゲッターズ飯田の占いも5種類に分けるはずだ。そして陰と陽に当たるのが銀と金だ。

ゲッターズ飯田に陰陽五行思想でこういうふうにしているという自覚がないのかもしれないのがやはり宗教性に無自覚だということにはなる。

 

橋爪の本で初期の旧統一協会がセック教団だったとあった。これも陰陽道の思想だ。男が陽で女が陰だ。陰と陽の関係性を具体的にするとそれが性行為になるという発想(?)があるのだ。

韓国がアダム国家で日本はイブ国家というのもやはりそうだ。韓国=アダム=陽、日本=イブ=陰という思想(?)だ。だからこれも陰陽道

 

日本人は奇数が好きだ。御三家のように。これも陰陽道。割り切れないのが良いらしい。偶数と奇数のどっちが陰でどっちが陽になるかはワタシには勉強不足でわからないのだが。偶数奇数と陰と陽だと捉ている。

 

 

これは啓蒙なのかもしれない。こういうワタシタチは自覚するところから始めるのがいいと思う。