世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

ヘーゲルは今の日本のことを言っているようだ。ーー精神現象学 上野千鶴子と東電のトップたち

すべて敬称略です。

 

ヘーゲルは難解だ。だから私も正直読んでいない。ただNHKの100分で名著の放送も観たし本も読んでみた。

 

100分で名著の本が薄いのだ。こんな薄くて大丈夫かと思うのだが東大一流の皆さんが担当されていてとてもわかりやすい。

 

たとえばエスプリのきいた会話で誰をやり込めることの無効さ無意味さについてヘーゲルが指摘している。もちろんヘーゲルがドイツ人だからだということもあるのだろう。

これは日本ではやっていた論破の対する批判だと考えて良いと思う。

 

この会を担当した斉藤幸平は当代一流のマルクスの研究者だ。

 

この本の中で和解への路を探るということのエピソードとしてマンガ「進撃の巨人」を引用している。

 

私はADOの「うっせえわ」を引用したいと思う。


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論破だかなんだか知らねえが うっせえわ!

冗談だが洒落だかなんから知らねえが うっせえわ!

マウンティングだかなんだか知らねえが うっせえわ!

コメンテーターだがなだか知らねえが うっせえわ!

 

本当にうるさい。五月蝿い(うるさい)のだ。

 

ヘーゲルはまた奴隷と主人と言っている。

奴隷はなんでもしなきゃいけない。

主人は能書き言って遊んでるだけだ。

 

ヘーゲル関連の本で上野千鶴子の名前を出すひとがいたので「はて?」と思った。そのひとは上野を奴隷の側だと思ったようだ。

今の日本では女性で有能がひとが多い。それはある種の女性たちは「議論をしてたって仕事は終わらないんだから」と思っているからだ。つまり彼女たちは奴隷の側だ。

「聞けば良いと思っている」と言って怒っているひともいる。聞かれてタダで教えるのだとすればそれは奴隷労働にほかならない。

 

だが奴隷と主人は必ずしも性別だけではない。私はサービス業をやってきた。サービスの語源は奴隷だ。だから私は奴隷の側。

 

ラジオで上野がある書店に入ってその書店の本の並べ方に文句を言ったという話があたかも良い話のように伝えられていた。

上野のが見ず知らずの書店の本の並べ方に文句をいう論拠はなにか?

上野は主人で上野以外のひとは上野にとって奴隷もしくは使用人だからだ。

だから主人(上野)は奴隷使用人(書店員)の仕事に文句を言った。

 

この話があながち私の言いがかりではないことを表す事柄を2つ書く。

上野は東京オリンピックに反対だった。

東京五輪の開催強行「最後の最後まで反対」上野千鶴子さんら署名13万9576筆提出:東京新聞 TOKYO Web

署名運動はやったらしい。だが署名をやったくらいで東京オリンピックが中止になるとは普通は思えない。

 

ここでも主人である上野は能書きいって遊んでいただけだ。東京オリンピックを中止させる仕事は奴隷もしくは使用人がやるはずだった。だが東京オリンピックを中止させる(あるいは中止に追い込む)奴隷もしくは使用人はいなかった。

 

もし具体的に東京オリンピックを中止に追い込みたいのならなんらかのカタチで国際世論を持ち上げるなりの方法があったはずだが上野にはそういう発想はなかった。上野は主人でしかないからだ。

 

上野は東大の祝辞で東大がひどく男尊女卑なのだということをいっている。

【東大入学式】上野千鶴子さん祝辞の反応は。東大女子のつらさ思い出し涙したOG | Business Insider Japan

事実そうだろう。だが祝辞でそんなことをいったからといって東大の男尊女卑ぶりが変わるはずがない。

ここでも一緒だ。主人である上野は能書きいって遊んでいただけだ。仕事は奴隷もしくは使用人がやるはずだったのだろう。だがそういう仕事をやる奴隷もしくは使用人はいなかったようだ。

 

面倒くさいこと大変なことイヤなこと(つまり労働)は奴隷もしくは使用人がやって上野は能書きを言って遊んでいれば良いのだからだ。それは上野が主人でしかないからだ。

 

この件についてつまらない揚げ足取りは辞めてほしい。うるさいから。

 

 

近年の日本で主人がおかした最大の失敗つまりあやまちは福島の原発事故だ。

私は正直あの件について考えたくなかったのでそういう関連の本を読むこともそういうテレビを見ることも基本なかった。

ただずいぶん経って地元局のドキュメンタリーを観た。東電のトップたちが(彼らが東京にいたことは別にしても)吉田所長にいろいろ言っていんのだが彼らが言っていたことは邪魔なだけなのだ。

だから吉田所長は「ディスターブしないでください」といっている。

 

私は「そんなことがありうるのか」と考えていた。東電のトップたちは自分たちがやっていることが邪魔なだけだということがわからないなどということがありうるのかと思ったのだ。

そういう意味で「そんなことがありうるのか」と思ったのだ。

だが東電のトップたちは実際に事実自分たちがやっていることが「邪魔なだけだ」ということがわからなかった。

 

そしてこれは日本全体の問題だが東電には雇用上のミス(つまり失敗)もあった。

単純な話だ。あんな重要を仕事をされるみなさん(つまり原発の職員作業員)のみなさんは東電の正社員で雇用をお願いするのが筋だ。高卒以上の方と大学の理系卒程度の専門的な知識がある方々を現地採用する。基本転勤なし。

 

歴史にイフはないがもそういう雇用を行っていれば原発事故がおきなかった。すくなくともあそこまでの事態には至らなかったのだ。

 

そしてドキュメンタリーの中の東電のトップたちは本当に5月の蝿のようだった。

上野もまったく同様だ。

 

こういうふうにして主人は力を失っていく。奴隷は嫌が応でも仕事をしなければならないので力がついていく。

 

だが上野の件以上に、福島の原発事故のような痛手を日本社会全体が負うことになってしまった。

 

それが主人はしょせん能書き言って遊んでいるだけの存在でしかないからではある。そういうふうにしているうつに主人は力を失っていく。

 

だがあまりに大きな痛手だった。

私たちは(私は奴隷の側だとしても)あまりにも大きな痛手を負ってしまった。

 

ただ世間の風は意外と的確なものだ。昔二時間ドラマで市原悦子主演の「家政婦は観た」というシリーズが人気だった。

私は再放送で一階だけ観た。私は二時間ドラマだから殺人事件が起きて市原悦子演じる家政婦がその事件を解決する物語だと思いこんでいたしそう思って観ていた。

だがさっぱり事件は起きない。ただセレブリティの家族の醜悪なところを市原悦子演じる家政婦が観て、その家を去るだけの物語だった。


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昔から「使用人には隠し事はできない」という。私も長く日本社会の使用人(サービス業だから意味はそうだ)をやってきた。だからいろんな人たちもいろんなところをずいぶん観てきた。そして「この人たちはオレのことを日本語ができないとでも思ってるのかな」とも思っていた。

そしてあれもこれもやらなきゃいけないしあっちこっちから文句ばっかりいわれて本当にイヤだったのだ。しかも安い給料だ。場合によっっては本当にただ働きをさせられたこともあった。

そういうふうにしているうちに力がついていたのだろう。だが「だからあなたはよかったんですよ」とは基本言わないでほしい。

簡単な話「お前がいうな!」という話だ。主人の側からそんなふうにいわれる覚えはない。奴隷の側だった人たちにそうならいわれてもいっこうに構わない。