前提の話だ。
①世の中には運不運がある。
②運不運は本人の責任ではない。
③でも運があまりに悪いからと言って犯罪を犯してしまったらそれは犯罪でしかない。そしてあまりに運が悪いからと言って行ってしまう犯罪にイカサマがある。詐欺もイカサマだ。
私が言っている大前提の①世の中には運不運があるということを認めてないひとがたくさんいるような気がする。これを認めてないというのは間違いだ。誤り誤謬。
間違いを前提にして考えたらあとも間違ってしまう。
違う前提の話だ。
①差別はある。
②差別を受けているひと(ひとたち)には現実にある差別に対応した政策を取る必要がある。
たとえばショービズやスポーツの世界の人たちに世間一般と同じ倫理観を要求するのは筋が違うと思う。だがこれは差別だ。でも私が言っている大前提①差別はあるということを認めないと②ショービズやスポーツの世界の人たちに世間一般と同じ倫理観を要求するのは筋が違うということにならないのだ。
クオーター制もそうだ。クオーター制がいいのかどうか私にはわからないし女性の社会進出がいいいことなのかどうかも私にはわからない。でも現実に女性は仕事上で差別を受けているのだからそれを解消する政策を取るのはおかしな話ではない。
ただ私がいっているのは①差別はあるという話だ。
だから「運不運はある」「差別はある」という二つの前提をまず私たちは認める必要がある。
今の日本人は「運不運はある」「差別はある」ということを認めてない気がする。この前提を認めないとあとが全部おかしくなる。それは間違っているからだ。
私が間違っているというのは善悪の話ではない。正誤の問題だ。