世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

奴隷と主人の弁証法 上野千鶴子のような無慈悲な主人たち そしてチャットGPT

主人と奴隷の弁証法(しゅじんとどれいのべんしょうほう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 

ヘーゲル『精神現象学』 2023年5月 (NHKテキスト)

 

私が聞いて「なんてヒドイことをする」という話が世間で良いことのように扱われることがある。

そういう人たちは奴隷を使うのが当たり前のひとたちだ。私は右とか左ということは問題にしていない。奴隷を使うのが当たり前の連中は右にも左にもいる。奴らがどういうつもりで勝手に見ず知らずのひとの主人をやっているのか。不愉快でならなかった。私はサービス業をやってきた。サービス業は日本社会の奴隷産業だ。

上野千鶴子がそうだ。ラジオで上野が書店に入ってその書店の本の並べ方に文句を言った話をやっていた。本の場所について云々いったそうだ。私はよくそんなことをすると思った。人様の商売に頼まれてもいないのに口出ししてと。本が女性関係の本だったらしいが。しかもそのラジオ番組ではそのことを良い話のように放送していたのだ。

単純な話、本屋に文句をいうのなら自分で本屋をやればいいではないか。

上野は一貫して奴隷を使う主人だ。自分では何もしないで奴隷にやらせるのが当たり前のひと。きわめて無慈悲な主人。

上野は東京オリンピックの開催に反対だった。そういうことを私は問題にしていない。上野は東京オリンピック開催に反対でその件で署名を集めて記者会見を開いただけだった。署名を集めて口でいっただけ。東京オリンピックが開催されても中止になることがあっても具体的なひとはひとがやる。上野はただ主人として命令するだけなのだ。具体的なことをやるのは上野の奴隷たちだ。

いつも自分は偉そうに言うだけで何もしはしない。実際にやるのはいつも奴隷たち。私もずっと日本社会の奴隷だ。だから上野の奴隷でもあった。

 

奴隷だとなんでもやらなきゃいけない。文句ばっかりいわれる。文句をいうのは上野みたいな連中だ。でもそうは言っても私たちは具体的にやってきた。やらなきゃしょうがなかったからだ。家事も掃除もお金のことも町のことも人間関係もとにかくなんでもやってきた。そして上野のような無慈悲な主人たちは遊んでるだけ口で言ってるだけで何もしてこなかった。東京オリンピックの件でそれが明白になった。

オリンピック開催に反対だということは結構だ。だがそういうことで署名を集めたからと言ってオリンピックが中止されるはずがないではないか。自分では何もせずなにもかも奴隷にやらせてきた上野のような無慈悲な主人には実際東京オリンピックを中止に追い込む方法がまったくわからなかった。そして実際東京オリンピックを中心に追い込むことができなかった。

 イヤなこと面倒なこと大変なことはいつも奴隷にやらせてきたからだ。

 

ヘーゲルは奴隷はなんでもやらなきゃいけない。そうやってなんでもやっているウチにいろいろできるようになる。一方主人は遊んでいるだけで自分では何もしないから何もできなくなる。こういう風に考えた。実際そうだ。

 

私はホワイトカラーをやったことがないからわからないがホワイトカラーは何をやっているの?たいていのことは出入りの業者がやっているのだが。ネットで絡んだことがある女性は英語の翻訳の仕事をしていた。彼女は主に週末働く。それはオフィスの連中が彼女に仕事を投げるのだ。「月曜に上げといて」といって。アウトソーシングするのは普通のことだ。だがなんでもかんでもアウトソーシングした後のホワイトカラーは何をやっているの?さっぱりわからない。

そしてチャットGPTだ。あれが一般化していわゆるホワイトカラーは必要なくなる。そしてカッコつきのクリエイティブな仕事もなくなる。

 

昔からAIが仕事を奪うという話があるが仕事を奪われるひとはそもそも機械に奪われるような仕事しかやってきていなかった人たちだ。