インフレとデフレについて考えてみる。
その前に政府が賃金の上昇を大企業から中小にまで波及させるといているようだ。これは理論の問題だ。理論の問題というのは「そういうことが理論上可能なら波及するのだが理論上そういうことはないのならいくらガンバッテもそういうことは起こらない」という意味だ。
それは理論上水は高いところから低いところに流れる。理論上こうなる。努力したら水が低いところから高いところにのぼることはない。
こういうことと同じことだ。
それはともかく。
インフレというは(私の乏しい理解ではだが)物価も給料も上がることだ。
極端に考えてみる。一年間で物価が2倍になったとする。生鮮食品も2倍家賃も2倍ケイタイ代も2倍とにかく何もかも物価が2倍になったとする。当然生活は大変だ。
だが1年半かかった(つまり物価の上昇よりはちょっと遅れたのだが)日本中の賃金も2倍になったとする。時給1000円のひとは2000円になり手取り20万のひとは手取り40万になったとする。
こうなったとすれば意味は一緒だ。
だがこの時にローンの支払いがあったとする。ローンの支払いの合計が月に3万円だったとする。そして貯金が100万あったとする。この額には調整は入らないとする。
そうするとローンの支払いは楽になる。時給1000円だったひとは時給が2000円になったのだし手取りが20万だったひとは手取りが40万になったのだから。
だが貯金の額が100万のままで変わらないとすると同じ100万でももう前の半分の価値しかなくなる。物価が2倍になっているから前の半分程度しかモノが買えないのだから。
日本は内需が重要な国だ。内需とはいうが内需には「投資」と「消費」がある。
投資がなにかを私は説明できない。消費はものを買うことだ。
日本人の消費はともかく問題は投資だ。このことはいわゆる先進国ではどの国でも問題になっているはずだ。
日銀がマイナス金利をやめるようだ(やめたのか?)が金利が低い。そして今の日本人にはそうとうおカネを持っているひとがいる。また企業もそうとう持っているところが多い。もちろん厳しいひと(私もそうだ)もいるし厳しい企業も多い。
これは私が商売人だから思うことだ。たとえば店を出したらうまく行く(トラックを買ったらうまく行く工場を作ったらうまくいく)のであれば借金をして店を出す(トラックを買う工場を作る)人たちがいる(はず)だから金利は上がるはずだ。
だけど店を出してもトラックを買っても工場を作ってもうまくいかないと思うから多くの企業は借金をしようと思わない。また多くの日本人もお金をもったままになっている。
消費には限界がある。投資するアテがないのだ。
すると日銀の金利は低くなるし企業でお金を持っているところも溜め込んだままだしお金を持っているひとたちも使うことなくためている。
でも問題はやはり投資だ。
一つは「教育が投資だ」という考えがある。医療や福祉や安全な社会のイジも当時だともいえる。
教育が投資だというのは「良い教育(何が良い教育かは別にして)良い労働者良い起業家良い経営者になって先々たくさん税金を納めてくれるだろうから」という理由からだ。
こういうことの計算は私にはできない。だがこういうことが実際にあるのであれば教育費は無料かひどく安価にしても構わないはずだ。
医療や福祉も同様だ。ここでいう医療には予防医療も含む。こういうことで先々お金を使わないで済むのであれば良い投資だと言えるのだ。お金を使うのは国や地方自治体だが国や地方自治体は税金でまかなっている。
だからこういうことが良い投資だと言えるのだ。
もちろん地震のことも心配だからそういうことにお金をつかって、そういうことで将来多くのひとが助かる(ということは国や自治体もお金が楽になる)のならそういうことも良い投資だ。
漢方で上医という。予防医学も含むのだが病気になることを未然に防ぐような医療だ。こういう社会政策は良い投資だ。
違う投資としては「押し活」がある。実際吉野家の株主には吉野家のファンが多い。彼らは吉野家の牛丼を食べたいのだ。そういう理由で吉野家の株主になっているひとがそうとういる。
また中古CDで今でも良い値段がするものがある。別にバカ高くはないのだが。そうい
CDは「いい仕事してますねえ」なのだ。そういうCDは数十年経っているのに値段がオチていない。でもツヤヤの店頭にダンボールに入って「全品250円」で売られているモノもある。流行云々というより仕事の質が問題のようなのだ。
配信系でも良い作品は今でも配信サービスで観たり聴いたりできるのだ。
「いいか黙って全部オレに投資しろ」というのは進撃の巨人の中の台詞だ。
あれは諫山先生の魂の叫びだったと思うな。日本社会が諫山にどういう投資をしたのか不明だが(ツライ目にもあったはずだ)諫山先生に対する投資は大成功だった