世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

疎外された日本の消費者マインド

オタキング岡田斗司夫がコロナ禍が第三次世界大戦だったといっている。世界大戦は4年間だ。第一次世界大戦も4年、第二次世界大戦も4年だった。日本の場合はすでに中国との戦争があったので状況は少し違うのだが。

コロナ禍が2020年からスタートしたのだとすれば2020年、2021年、2022年、2023年の4年間がコロナ禍で第三次世界大戦だった。

そして今は戦後で戦後体制を構築中だ。

 

敗戦後と同じようなことがあるような気がする。

敗戦後にあったことをいつかあげる。

ハイパーインフレ

農地開放

財産税導入

財閥解体

労働組合の奨励

 

ハイパーインフレというのは物価が1000倍くらいになるのが普通らしい。戦後の日本では物価は300倍程度にしかならなかったからそういう意味ではハイパーインフレとは言い難い。

そしてワタシは今年そういうことが起きると思っている。理由は国に膨大な借金がかrではない。流通網の破綻だ。具体的にはトラック業界がもう限界だ。とっくの昔に限界は越えているのだがみなさん必死にガンバッテいらしゃる。だが民間企業なわけだし倒産してしまえばガンバルもなにもなくなる。そうなると缶コーヒー一個でも競り合うことになる。オークション状態になるのだ。そういうふうになれば物価が競り上がってしまうことは普通に起きる。

今の日本でハイパーインフレが起きるとすればその筋で起きるはずだ。

 

農地解放と財産税導入と財閥解体だ。これを行う(これが起きる)可能性がある。

 

これはもともとは太宰治の小説に関するいろいろからあるかなと思っていた。「斜陽」だ。「斜陽」は有産階級没落の物語。

まず有産階級の説明からだ。有産階級というのは財産があるから有産だ。財産を有する階級で有産階級。そして財産がある人たちは働かないのが普通だった。戦前の日本にはそういう人たちが普通にいた。ただそういう人たちが芸術家のパトロンをやっていたこもあったし有産階級=悪ということではない。

当時は新聞なのだろうが「斜陽」から「社用族」といっていた。マスコミの言語センスは昔から変わらない。具体的には「領収書」という人たちだ。だがバブル崩壊以降は大企業であってもそんなに簡単に交際費など認めない。だから今年は「社用族が斜陽か」と思っていた。

そしてもし社用族が斜陽なのだとすればその意味は財閥解体でしかない。

 

戦後の日本では激しいインフレが起きた。代表的なのが土地の価格だ。土地の価格が膨大に値上がりした。これが即悪いとは言えない。だが土地の値上がりにより日本の中で不均衡が生じている。この不均衡をなんとかする必要がある。

その方法にはいろいろあるだろう。だがこの処方箋として財産税導入があるような気がすrのだ。

子供家庭庁で世間の資産情報は把握ずみのはずだ。それにインボイス制度導入。インボイス制度で企業やフリーランスのお金の状況も把握されたはずだ。

そういうことから考えると財産税導入があってもおかしくない。というよりああいうことが財産税導入のための布石だった可能性もある。

名前は出さないが元キャリア官僚が「消費税は15%にするしかない」といっているようだ。いろんなアナウンスはもう終わっている。

あるとすれば7月だと思う。新しいお札が出る時だ。

 

最後が労働組合だ。もう法整備は終わっているのだが今回の組合は労働組合ではない。生協や漁協のような組合だ。

時代を代表するマンガとそういうマンガのセリフがある。先日他界された鳥山明は「ワクワクすっせ」だった。ドラゴンボールだ。

その後はワンピースの「オレは海賊王になる」だ。

人間は論理的な存在だ。だから理屈の辻褄が合wないと苦しい。変な話のようだが「幸せになろう」と思うのなら幸せになるための論理が必要になるのが人間なのだ。こういう論拠があってそれが論理的展開して整合性があるからワタシは幸せになっていいと思えないとしあわせになってはいけないように感じてしまうものなのだ。

スティーブ・ジョブズは「自分は革命軍だ」と実施あに思っていたような気がする。本来才能があって努力して王様になることは素晴らしいことだ。そして誰かからとやかくいわれる筋はないことだ。だが「自分は革命軍だ」と思っていたひとが王様になったときに論理的な辻褄が合わなくなる。論理的に破綻してしまう。

でも最初から「オレは海賊王になる」と思っていたひとが実際王様になったのなら論理的な辻褄は完璧にあっているのだ。

 

また今の日本人は消費者マインドだ。ワタシはずっとサービス業だった日本人の消費者毎度には文句が山のようにある。

疎外という。

 

これは孫引きなのだが疎外の例としてマルクスがあげているのが女衒(ぜげん)らしい。池上彰と佐藤勝の対談で知った。

 

疎外にはせクシャルなイメージがある。上は比留間久夫の「YES・YES・YES」だ。これは優れた青春小説だ。この話はゲイだというわけではないのだが男性に身体を売っている若者たちの話だ。この小説にとても女性にモテる男がでてくる。彼は「自分はセックスから疎外されていると思った」というのだ。

それはともかく。女衒(ぜげん)の例でいうと疎外から逃れるためには女衒(ぜげん)をやめるしかない。

 

そして消費者マインドの日本人もやはり疎外されている。変な言い方かもしれないが消費者マインドの日本人は労働から疎外されているのだ。マルクスがつかっていた疎外という概念をこういう風に使って言いものかどうかしらないがそうだ。

もう一度書く。

消費者マインドのの日本人は労働から疎外されている。

 

この「労働からの疎外」から逃れるためには普通に働けば言い。その方法として生協や漁協のような組合という存在(あり方?)が重要なのだ。