世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

共同体の感覚と政権交代

鈴木おさむがハゲなのかどうか知らないがここでは「あのハゲ」と書く。

フジテレビのバラエティ番組で昔オレたちひょうきん族という番組があった。横澤アキラという有名なプロデューサーが「コンビトリオの目立っている方だけで番組を作りたい」と思って作った番組だ。吉本も「まあいいでしょう」ということだったらしい。

こいいうことが素晴らしいとは思わない。ただ「仲間内だけよければいい」ということではない。

あのハゲが関わった番組ではたいてい陰惨がことが起きている。それは仲間内だけよければ言いというあのハゲならびに番組スタッフの思想発想が原因だ。

挙げ句の果てにスマップを題材にした無意味にセンチメントな小説もどきを書いてお涙ちょうだいするしかなくなっている。

あのハゲが「仲間内だけよかればいい」ということでやってきているしだいたい本人が陰気くさい。あいつの仕事もいつも陰気くさい。

 

ついでにいうと時代感もずいぶん前から外している。

何度も書いているが最初の株価暴落がバブル崩壊だとするとバブル崩壊は1990年の1月だ。テレビ等でバブルの様子としてずっと放送されているジュリアナ東京バブル崩壊後のことだ。

あのハゲは今だにジュリアナ東京にいるつもりだ。そういうことだからお前はハゲちまうんだよ。

若い世代は「浮かれまくって日本をダメにした連中がまだ浮かれている」ということに激怒しているのだ。

仕事があったこと以外には当時良いことがなかったワタシも激怒や憎悪の対象でしかない。

 

おまけに時代感も外している。あのハゲは大映テレビ的なことをやったドラマの脚本を書いている。大映テレビの全員は当然大映だが大映の映画はどこか暗い。

大魔神」と「ガメラ」もそうだ。大映大映テレビになってもやっぱりどこか暗いのだ。大映テレビもやっぱりどこか暗い。

だから暗い時代には大映テレビの作品はフィットする。だから1980年代にはあわなかった。時代にあわなかったのだ。

 

だがそれをずいぶん後になって「大映テレビ的なことをやったら面白いんじゃないのかな」などと思ってしまうのは単なるオヤジのノスタルジーだ。正確に書くと陰気くさいツルッパゲのバブルはとうの昔に終わっているのに今だにジュリアナ東京にいるつもりの時代錯誤のオヤジのノスタルジーだ。浮かれまくって日本をダメにしたオヤジのノスタルジーだ。

 

あのハゲがそういう仕事をしている時期には日曜劇場等で大映テレビのドラマがヒットしていていた。当然そうなるはずだ。時代が暗かったからだ。

 

お前にあのハゲは話も通じない。だから大昔からミュートされている。「いうだけムダ話を聴くだけムダなひと」という認定をされている。それをミュートされているというのだが。

あるドラマの時若い役者から「こんなことやってて大丈夫なんですか」といわれている。あのハゲは「オレはリスキーなことをしているゼ」と自分に酔っているからわけがなかったない。

 

その役者がいっていたのは「こんなつまんないこをしてて大丈夫なんですか」だ。

あのハゲは無意味に自分に酔ってるからわけがわかんなくなっている。

 

以下はちょっとマジメな話だ。

吉本隆明が共同体のあり方について考えていた。元はヘーゲルだろう。

日本はアジア的な共同体だ。これが変わるのかどうかは正直わからない。ただ共同体のあり方で日本はひどく混乱している。

 

江戸時代の話。

rinto.life

 

筆者は江戸時代の武家を江戸リーマンと呼んでいる。このタトエは当たっている。そして上級市民というのはリーマンなのだ。上級市民というのは収入の問題でもないというのはリーマンが上級市民だからだ。

当時は身分制度があったからなのではるが改易のよなことがあっても領民にはお咎め無しだった。

今の日本でいろんなことがある。たとえば企業で不正が行われたようなことだ。こういう時にワタシも世間もなんとも混乱してしまう。それはあるひとがその企業の社員だからといって責任をウンウンというのは違うような気がするからだ。

 

これはワタシたちは「藩になにかあって藩の連中まり武家は改易になったとしても領民にはお咎め無しだ」と今も思っているからだ。

 

実際ワタシたちはそういう風に今も実際思うのだからこの感覚に基づいた制度を作るべきなのだ。

ある企業に問題があった場合は社長は飛んでもらうとか部長以上は飛んでもらうのように。

 

そして吉本はこれをアジア的な共同体と考えていたようだがトルコやロシアも一緒だと思う。こういう共同体の感覚だが。エルドアンさんもプーチンさんもやっぱり長期政権いなってしまった。ああいう人たちは結局そうなるんだなとは思う。

 

ただ共同体の感覚はトルコもロシアも一緒だと思うのだ。でも中国は違う気がする。すぐ隣の国なのだが。