ワタシは今60才だ。50代の10年間が大変だった。でも遊んでもいた。それは実際病状がひどく悪かったからだ。考えてみたら30代も結構遊んでいた。
そういうことを考えてみると(変な話かもしれないが)自分の人生は悪くなかったように思える。
ここのところマーフィの法則の音声を聴いている。こういうことをすれば誰もがよくなるわけではないと思う。ただここ23日驚いている。ずっと内容が聞こえてなかったのだ。
30代に西尾和美さんのアファメーションの音声を聴いていた。ずっとそういうことに意味はなかったと思っていた。ある種の音楽をバックに西尾さんが「あなたはあなたのままで良いんです」「あなたがなすべき苦しみは終わったんです」というようなことをいうだけの音声だったからだ。
でもワタシには意味や価値があった。そういところがワタシには欠落していたからだ。実際当時ひどい不眠症だったのだが西尾さんのアファメーションの音声を聴いているの眠ってしまうことがよくあった。
話が飛ぶが相模原の障害者施設で殺人事件があった。あの犯人を異常な人物だったよ0うにいうひとが多かったがワタシはそう思わなかった。あの犯人と同じようなことをいっている人たちがたくさんいたからだ。そしてそういう人たちはそう信じているようだった。
あるココロヤジンノスケというひといが面白いことをいっている。「存在給」だ。
これは感情の問題ではなく認識(考え方)の問題だ。
存在給というのは「あなたが何もしないで人になにもかもやってもらっていてダラダラ暮らしている時にあなた自身があなたに出す給料の額(値段)」のことだ。
私にも経験があるが存在給が低い時には頑張っていても結局お金がも残らないのだ。
あの犯人も存在龍が低いひとだった。それは事実そうだがそういう考えが日本中に広がっている。私はいわゆるポジティブシンキングには疑問がある。嫌いかもしれない。
でもしつこいが経験上存在給が低いといくら頑張っても結局報われないのもまた事実なのだ。
ただこれは努力しているのが大前提だ。同じように努力していても・・・という話なのだから。
今の日本人は健康寿命がながい。実年齢の7カケだというひともいる。7カケというのは50才なら50×0.7で35才だということだ。精神年齢もそれくらいだと思う。
そういうこともあるし結局私はなんのかんのでよかったんだと思うのだ。