いろんなことに腹が立っているし怒りの抑制が効かなくなることもあって結局よくなってないのかなと思っていた。
でも冷静に考えてみると回復しているのだ。
だいたい過去の記憶が長年なかったのにいろんな記憶が蘇っている。
妄想(といってもそれが現実ではないとは基本わかっている)も100%悪いとはいえなかった。前にも書いたが屈辱経験に基づく認識があれば誇大妄想が出てきてバランスをとるのは当然のことだ。
いつからか日本で朝っぱらから「4ね4ね」といっている女性がいたり怒りの抑制が効かなくなって暴言を吐きながら歩いている男性もいる。こういうことはもちろん以上なことだ。だが今の日本の現実が以上なものである以上こういう異常な反応が出るのは健康で健全なことなのだ。あるいはウツ多発にしてもウツになってしまうくらいの状況が今の日本には普通にあるのだから反応としては健全なものでしかない。
色彩感覚がなくなるのを一般的にはウツの症状だという。だがこれをなんらかのリミッターを振り切る状況に陥っているから感度を落としている(誰かというか自分がだ)のだと考えると健康で健全な反応だと考えるのだ。
以下は日本WHO協会のホームページからの引用だ。
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1948年に発効されたWHO憲章では、前文において「健康」を次のように定義しています。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」
この健康の定義は、いまも世界中でひろく使われています。
ただ、現在でも、日本WHO協会に、従来の健康の定義に「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」は加わっていないのですかという問い合わせを受けることがあります。
1998年の第101回WHO執行理事会において、「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」を加えた新しい健康の定義が検討されました。賛否両論があったのですが、第52回世界保健総会(WHO総会)の議案とすることが決定されました。そして、WHO総会で審議した結果、採択が見送られました。
日本では、WHO執行理事会により総会に提案が決まった時点で、健康の定義の改正が規定事実のように大きく報道されたために、現在も誤解が続いている面があります。
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健康の定義だ。考えてみればこれは当然だ。肉体的に満たされていすrとする。そして精神的にも満たされているとする。そして社会的にもやはり満たされているとする。
でもこういうことではどこか物足りないのが人間というものだ。
お金もあっても身体も健康で精神的にもやはり満たされているとしてもなにかが足りないのだ。
友達や仲間も欲しいものだしボランティアをやらなくても感謝もされたい。こういうことがないとどこか寂しい。
そしてスピリチュアルとダイナミックにという話なのだ。
外国語だから感覚的にはわからないのだがウィスキーのような蒸留酒はスピリッツだ。だからスピリチュアルというのは前世や幽霊ということであhない。お酒を飲んで気分よくなったり大声を出すのもスピリチュアルであるはずだ。
車の運転をすると別人になるひともいるから車の運転もスピリチュアルになるはずだ。
ダイナミックは動的なだがダイナミックの対義語はスタティックだ。スタティックは静的なだ。
血の巡りが悪いとか呼吸器系が悪いとか消化器系が悪いという。これは全部動いているものだ。そして日常生活でももし仕事をしていなくてお金が十分あったとしても年がら年中部屋にいて(あるいは家にいて)外に出ないようではやはり寂しい。ネット環境があったとしてもだ。コンビニくらいには行きたいものだ。私みたいに年を取るをそういうことも億劫にもなるが。
話が戻るが一頃の私の妄想(ということは物語なのだが)で誰かから叱られていた。
「お前はダメなできないとばっかりいってるからダメなんだ」といって。私は「何をどうやったってダメだとしか言わないじゃないですか」と答える。
そういう物語というかダイアローグなのだ。
こういうことをスピ的にとらえても良いのだがこういうダイアローグが自己治療として行われていた(もちろん行っていたのはワタシなのだが)とも考えてもいい。
こういうことをスピ的なことではないんだと考えてもこういうことにはスピリチュアルなダイナミックなことだ。さっきも書いたが酒を飲んで気分が良くなるのも大声を出すのも車の運転をして別人のようになるのみスピリチュアルなのであろうからだ。そしてダイナミックというのは動的で変化をするというこどあ。こういう謎のダイアローグを行っているのはスタティック(静的な)ことではない。そしてこういうダイアローグはワタシが好きで行っているわけではないのだ。でもそうはいってもワタシが行っていることなのだ。それは酒を飲んで楽しい気分になったり大声を出しているこちゃ車の運転をしていいて別人のようになっていることと意味は同じであるはずだからだ。