「誰仕切り」ってあるでしょ。こういう日本語を私は嫌っていたのですが、先日友人とある忘年会の話になった時に「あそこ誰仕切りだったけ」と言ってしまいました。
「段取り八分」という言い方があります。私自身も「ひとの段取り」で仕事をする場合があります。その「段取り」が悪いととてもイライラします。「段取り」がうまく行っていれば、「ただ楽に働く」だけです。でも「段取りが悪い」と「業務上支障をきたす」のです。「段取りが出来ない上司」は最悪です。どういう業種であれそうです。
「誰仕切り」という場合には「誰が段取りをしているのか」という意味になります。
その時に「段取り」をしている人を私は好きではあります。ただ「段取り」が正直下手な人なのです。
「仕事をすること」と「仕事の段取りをすること」は似ているのですが、「違う」のです。
自慢話ですが、私は両方できます。ただ「仕事」と「仕事の段取り」は違うことです。両方できるとか限らないのです。
そのひとは「仕事はできます」が「仕事の段取りはあまりできない」ひとだったのです。
落語に昔の職人さんの親方が出てきたりします。植木職人の親方が庭をぼーっと眺めているだけで職人さんたちは必死で働いていたりするのですが、その親方は実は必死で働いているのです。「段取り」をうっているのです。
経験上「段取りをうつ」ほうがキツイです。私も年齢上「段取りをうつ」ほうになっています。
正直誰か「段取りがうまいひとに段取りをうって」もらって「ただ働きたい」と思う場面も多々あります。しかも「段取りをうつ」仕事はわかりずらいので、「あのひとは働いていない」と勘違いされる場合もあるのです。
私は若い頃からわかっていたほうだと思います。
あるキッチンで働いていた時に後輩のアルバイトの男性が「店長はキッチンが嫌いだから事務ばっかりやっている」とこぼしたことがあるのですが、その店長はエリアマネージャーを兼任していたので、各店の状況を把握しておく必要があったことが彼にはわかっていなかったようなのです。
そこの「苦労」みたいなものがわかると、自分の仕事がそんなに苦にならなくなりますし、そこがわからないと「不満だらけ」になります。経験上そうです。
それは前に書いたことなのですが、「複数の視点を持つ」ということです。「自分以外のモノの見方が存在することを知る」ことなのです。
「複数の視点を持つ」ことにはエネルギーが必要なのですが、「複数の視点を持つ」と「不満を減る」のです。
あなたが大人であるのであれば「複数の視点」をもっているはずです。