世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 3.2

私はカウンセラーたちにはヒドイ目にあっている。カウンセラーには制度上の問題がある。カウンセラーだけではなくこれは学校の教師も医師も弁護士も一緒だ。こういう仕事は資格を取って働き始めてからさらに勉強する仕事だ。そういうことがあるから医師の場合は若い医師が過酷な状況で働かざるを得ないこともある。それは弁護士も同様だ。学校の教師にはヒマが必要なのだ。そうじゃないと先生たちが勉強するヒマがないのだ。カウンセラーも本来はこういう仕事と同じ意味の仕事だ。だがこういう状況ではない。インターンみたいな時期が必要なのだが。

でも問題はそれだけではない。日本にはカウンセラーの伝統がないのだ。このことについてアメリカではカウンセリングを受けるのは普通なんだと話があるが私はそれは疑わしいと思っている。昔の映画に「オーディナリティピープル」があった。普通の人々だ。この映画で子供がカウンセングを受けていることを父親が話したことを母親がなじる場面があるのだ。「そんな恥ずかしいことをいうなんて」と。


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アメリカにはドラッグストア文化があるらしい。アメリカに行ったことがないので私にはよくわからないのだが。ドラッグストアは薬局だ。だが雑貨店みたいな意味でドラッグストアに集まって世間話をするものらしいのだ。だがそうは言ってもドラッグストアは薬局だ。薬局だったらそうとう生生しい話もでてくるだろうしできるはずだ。

ジブリの映画に「魔女の宅急便」がある。


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魔女の宅急便の主人公はキキだ。そしてキキのお母さんもやっぱり魔女。そしてキキのお母さん(魔女)の仕事の一つは明らかに薬剤師だった。そしてキキが居候する家はパン屋だった。

私や私の友人たちでメンタルを深く病んでいるのに働いてきた人たちがいる。私も休み休みではあるし正直長続きすることはあまりなかったが働いてきた。精神を病んだ人たちは世間とはタイムサイクルがずれているひとが多い。子供の頃からだ。

A型事業所で働いていた時同病の友人が子供の頃の話をした。私は彼とまったく同じ経験をしているので彼の話は結末まで聞かなくてもわかった。彼は子供の頃に夕方起きて朝だと勘違いしてお母さんに「朝ごはんは」と聞いている。私も子供の頃夕方起きて朝だと勘違いしたことがある。

同じエピソードがちびまる子ちゃんにあった。あれはおそらくさくらももこの実体験だ。そして日本民俗学の父柳田国男もおそらく同じ経験をしている。柳田は才能のある新体詩人だった。だが新体詩には進まず学者になった。柳田の新体詩に夕方目覚めてもう一度夢の世界に帰りたいと願うというものがある。栁田はある考えかたでは病んでいる。

ある考えというのは世間とはタイムサイクルが違うという意味だ。でもその世間とは朝それなりの時間に起きて夕方なり夜に寝るような世間だ。でもこういうタイムサイクルで暮らす必要がないのなら私たちはおかしくないのだ。おかしくないというか働けるのだ。働いて収入があってそれなりにやっていけるのであれば精神を病んでいてもそれなりに働いてやっていけるのならそこまで問題はないのだ。

それでパン屋だ。私が若い頃に働いていたスーパーにはテナントでパン屋さんが入っていた。だがパン屋の大将とはほとんど会ったことがなかった。私は夕方の6時からの勤務だったが大将はその頃にはたいてい上がっていたからだ。

パン屋もそうだしある種の漁師も夜どころか夕方くらいに寝る仕事だ。そして夜中から働く。朝早いといえば朝早いのだがああいう仕事はたぶんそもそも世間とタイムサイクルとずれているひとじゃないととツライはずだ。ミュージシャンでやっぱり世間とタイムサイクルがずれているひとがいる。彼らは午前中寝ているとスッキリする。午前中寝ているとスッキリする感じが私にはひどくよくわかる。

問題は早起きか夜更かしかではない。世間とタイムサイクルが違うことなのだ。作家や学者画家やクリエーターで「自分は夜型だから」という人たちがいる。「夜型だからといわれたって自分は普通に朝起きてるんだから」と思うひとが多いはずだ。だが彼らもやはりタイムサイクルが世間とずれている人たちなのだ。企業のエグゼクティブにもやはりタイムサイクルが世間とは違う人たちがいる。彼らはとても早起きだ。繰り返しになるが早起きか夜更かしかは問題ではない。問題は世間とタイムサイクルが違うことが問題なのだ。ネットで読んだだけだがある起業家は家族よりも数時間早く起きるのだそうだ。その時間は家にいても一人になれるからだ。でも早く起きるというこてゃ早く寝るということだ。だからやっぱりそのひとも世間とはタイムサイクルが違うのだ。

メンタルを病んでいるひとで入院生活をきっかけにして夜8時や9時に寝るようになった人たちがずいぶんいる。早寝早起きで健康なようだが大人が夜8時や9時に寝れば朝は早くとても起きることになる。やっぱり世間とタイムサイクルがずれているのだ。

こういうタイムサイクルで暮らしてよくてこういうタイムサイクルで働いていいのならばメンタルを病んでいてもツライことがあっても働けるのだ。働けるのであればメンタルを病んでいてもそこまで大きな問題ではない。そして今世間が変化している。みんながある時間に起きるような暮らし方や働き方ではなくなってきているのだ。

 

そして吉本隆明が「共同幻想論」(だったと思う)の中である種の人たちが特殊な能力を持っていてその能力で財を成すがやがてその能力をなくて行くというエピソードについて言及している。柳田国男の「遠野物語」のエピソードだったはずだ。

遠野物語 (新潮文庫)

確かに不思議な話だ。だがそういう人たちは①よそから来たひとなのだ。だからその共同体には所属していない。その共同体に所属すると共同体の構造やシステムは満たなくなる。だがその共同体に所属しなければその共同体がどういう風に動いているのかを客観視できるのだ。共同体に所属している人たちにはそういうことは規定値に当たることだ。だから見えてこないしわからない。だがその共同体に所属しないひとにはその共同体の規定値を理解する必要があるのだ。そしてその規定値や規定値のメカニズムがわかるひとにだけはわかることはあるものなのだ。

ある種のクリエーターや企業のエグゼクティブが世間とは違うタイムサイクルで暮らすことにも同じような理由があると私は考えている。そして私は柳田国男遠野物語の中のエピソードと同じ経験をしている。家の近所に通称天神さんという林があった。そこにはシンボルツリーがあってシンボルツリーにはしめ縄がまいてあった。子供の頃私たちはその天神さん(の林)で遊んでいたが母親がそこで遊ぶのを嫌がっていたのだ。母親は「あそこは天神さんだから遊ばないで」といっていたが私は「イヤ天神さんは喜んでいるから」と思っていた。でもそれはいわなかったのだが。遠野物語にまったく同じエピソードがあるのだ。そこまではおかしくないのだがある時台風が来てそのシンボルツリーが倒れた。その後ウチの家族はその家から引っ越したのだ。私はシンボルツリーが倒れた時にひどくショックを受けた。

ただ私が今こうやっていろいろ書いているのは世間とは違うタイムサイクルで暮らしていたからであるはずだ。