世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

WW3が始まった バブルと戦争とヨーロッパ世界の拡大

すべて敬称略です。

鬼滅の刃が大ヒット中だ。少年ジャンプの連載は終わったがアニメはまだ途中でこれからさらに盛り上がりそうだ。この鬼滅の刃の時代設定なのだ。大正。大正は世界的な大バブル。アメリカやヨーロッパなゴールデンジャズエイジ。この時期のアメリカを代表する作家がフィッツジェラルドだ。

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二回の映画それぞれのオシャレさ加減はとんでもない。ファッションに興味があるひとはぜひ観たほうがいい映画だ。アメリカではフラッパーといわれる女性たちが現れた。自分の欲望欲求に忠実な女性がフラッパーだという定義もある。

豊かさの基本的なレベルは日本とアメリカやヨーロッパ諸国では違う。だが日本もバブルだった。最近古民家が人気だが大正の古民家は良い。バブルの時の日本車が良いのと同じだ。大正に「成金」という言葉が生まれたようだ。

このあたりは国際政治学者の高坂正堯(こうさかまさたか)がNHKで話していたことだ。

日本の普段の暮らしも大きく変わった。大正にちゃぶ台が生まれた。その前は一人ひとり食べていたはずだ。大正にああいうみんなで一つのテーブルを囲むという習慣が始まった。

映画「シャイニング」の舞台になったホテル「オーバールック」は1920年代に建てられている。あのホテルはリゾートホテルだ。夏は確かに涼しい。だが冬は雪に覆われて使えない(という設定)のだ。こういう無茶なことをする(無茶なことができる)のはバブルの時だけだ。

この後日本では昭和恐慌が来る。世界的には大恐慌。そしてWW2、日本は太平洋戦争。

 

WW1(当時はたんに世界戦争といっていた。だからたんにWorld Warだった)。カッコの中のことについてちょっと書いておく。呉智英がこのWorldという名称や考えや感覚について言及している。

WW1には日本とアメリカも参加している。でもヨーロッパの地域戦であって世界戦争というのはおかしのではないかというのだ。ごもっともだ。でもWW1はWW(世界戦争)だった。

私の頃は(昔はという意味だ)コロンブス以降の時代を「大航海時代」と習った。でもそのあとこの時代を「ヨーロッパ世界の拡大」というようになった。

戦争の前からプーチンさんが怒っている。というよりイライラしている。さっき書いたヨーロッパ世界の拡大だ。どこからどこまでがヨーロッパなのか私にはわからないが「ヨーロッパ」はロシアにも拡大したのだ。日本でも保守派は怒っている。というよりやはりイライラしてる。このイライラは同じイライラだ。ヨーロッパ世界の拡大がもたらしたイライラなのだ。ここでいうヨーロッパというのは地理的なヨーロッパではない。ある考えある価値観ある感覚のことだ。それにイライラしているのだ。WW1が世界戦争なのはヨーロッパの価値観がそのあと今に至るまで世界の価値観になる流れだったという意味でまったくもって世界戦争だった。

今日本の保守はLGBTに対して不寛容な態度を取っている。だがここでLGBTが問題になるのはある思考の枠組みがあってのことだ。座標軸。同じことでもどういう座標軸で見るのかで意味は違ってくる。だから問題はLGBTではないのだ。思考の枠組みであり座標軸だ。実はこっちが問題であり論点なのだ。

 

今仲介役をやろうとしているトルコと日本は似ている。向こうは西アジアの中では自分(トルコ)は違うと思っているし日本は東アジアの中で自分(日本)は違うと思っている。

今回の戦争についての報道を見て「日本とロシアとトルコは似ている」と思った。もちろんまったく違うのだが。ロシアとトルコで鍵を握るのは軍部だ。日本には自衛隊はあるが軍部がないから日本の場合は官僚機構。軍部というと軍事力のようだが軍部の意味は官僚機構だ。

民主党が「脱官僚」といっていた。失敗したが。安倍さんのこともパワハラ上司というひとがいた。官僚機構を力で抑えようとしたからパワハラ上司だ。だから日本もロシアもトルコも官僚機構が問題(論点)なのだ。

最近は日本語も英語もそうとうできる人たちがいる。そして「英語にできない日本語、セツナイなんて当たり前」というくらいの状況だ。「官僚」という言葉も英語には翻訳不可能な言葉なのだ。「ただの公務員でしょ」としか向こうは思わない。それはフランスやドイツも一緒かもしれない。ここは私には不明だ。でも日本だけでなくロシアもトルコも官僚がいて日本同様官僚が重要な国だ。

日本はあるところが組織疲労を起こした頃に時代が変わる。江戸時代のことでわかりやすいのは大奥だ。大奥はそもそも将軍の血筋を残すために作られた。だからそもそもの意味は一夫多妻制のための場所だ。だけどそんなのは最初の頃だけだ。途中から女性のための学校や官僚機構(女性が政治に口を出せる組織)という意味ももっていた。江戸時代は武家の娘でも勉強するような場所はなかったのだから大奥が学校の意味を担うのは当然のことだ。また女性の政治参加は制度上存在しなかたのだから大奥がそういう役割を担うのもある種当然だった。けれども大奥は徐々に肥大化し制度疲労を起こしていった。若いひとにはわからないだろうが旧国鉄みたいになっていたんだと思う。今も霞が関は違うのでしょうか?

 

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