今の日本は資本主義ではない。共産主義でもないからなに主義か不明だが権威主義かもしれない。
資本主義=市場主義だ。資本主義なら市場主義が働いているはずだ。市場原理万能主義にワタシタチは疲れているようなのだが今の日本が資本主義ではない(それは市場原理が働いてないからだ)のだからワタシタチは資本主義に疲れているわけではないのだ。
具体的には多くのひとがやりたがらない仕事は市場原理が働いていれば給料がよくなるはずだ。だがそうなっていない。また多くのひとがやりたがる仕事も市場原理が働いていれば給料が安くなるずだがそうなっていない。
実際そうなってないのだから今の日本は資本主義ではないのだ。でも共産主義でもない。謎の国だ。やっぱり権威主義なのかもしれない。
成果報酬システムという。日本企業もずっと成果報酬システムだった。だが日本企業の成果報酬型にはタイムラグがある。成果を出したひとは出世する。出世すると給料がよくなる。そういうカタチの成果報酬システムだった(過去形か)のだ。
いつの間にか日本が資本主義ではなくなったことには日本型の成果報酬システムが関係しているのかもしれない。
ミヒャエル・エンデの「モモ」の物語は当たっているかもしれない。
ミヒャエル・エンデのモモは時間ドロボウに時間を奪われる話だ。
さっきの話でいうと「仕事で良い結果を出せば出世して良い給料になる」のが日本企業の成果報酬システムだ。
でもこの日本型を成果報酬システムを逆算して「出生して良い給料になるためには仕事で良い結果を出さなければならない」という発想になると違う話になる。
理由は簡単だ。時代も変われば世間も変わるからだ。具体的には仕事をガンバッテ良い結果を出したとしても出生して良い給料になるとは限らない。会社の方向性が変わってラインから外れることもあるしその業種自体が厳しい業種になることもあるから。
話がまたそれる。大きな夢をみるひとで大きな夢が大きな夢のままで止まるひとと100個なり500個なりの細かい具体的なことに分かれるひとがいる。昔から視覚イメージが重要だとはいうがここをよくわからない。
たとえばエベレスト登頂すると言ってもわけがわからない。これをたとえば大きな夢だとしよう。エベレスト登頂という大きな夢を学生だったら登山部に入るという風になるひとならはわかりやすくなる。登山部がある高校なり大学を目指すということになるしこうなったひとは高校受験なり大学受験の勉強をすれば良いからだ。
違うカタチでアウトドアショップに行くとか登山やアウトドアの本や雑誌を買うということになるひともいるだろう。そして細かく分かれたことの一つが「今日バイトに行く」であったらその日バイトに行けば良いのだ。
ワタシもちょっとファンタジーを考えたことがある。主人公はミライのためにずっとガンバルのだ。良い未来のために今は苦しい思いをしている。子供の頃からずっとだ。そして主人公はあるときに気がつく。子供の頃から自分はイヤな思いしかしていない。そしてこのまま頑張ったとしても良い葬式をあげるだけなんだと。もちろんそれは自分のお葬式だ。
また話がそれる。ワタシはずっと不幸で下げ止まっている。こうなると目先のことしか考えない。1週間後のことを考えると苦しくなってしまう。だから目先目先のことだけで数十年を過ごしてきた。
今から思うとあれはあれで正解だったなと思うのだ。