世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

ネット炎上と「私見を述べた」フレーズの意味

今ある件でネットが燃えまくっている。そしてネット上で「私見を述べた」というフレーズが溢れている。

単純な話「私見を述べた」と書いてるヤツはどう思っているの?

昔からこういうやり方はあることはある。言いたい放題いうひとが時によっては大学生だったりおばちゃんだったり女子高生だったり子供だったり大御所だったりする。そういうことをやらしている連中はどう思っているの?

アレもそうだ。ずいぶん見ていないがサンデーモーニングのスポーツのご意見番。事実がどうかは知らないが一般的な視聴者たちは「あれは関口宏が悪い」と思っている。

 

そういうポジションはハッキリいうとバカがやるポジションに(いつの間にか)なっている。そうすると自分の考えを表明することがバカなことになってしまう。その考えがどうであれだ。

いつの間にか日本では意見を表明すること事態がバカなことになっているのだ。

 

ただまだアニメは終わってないが「鬼滅の刃」で「加勢をする」というセリフがあった。新鮮だった。助太刀だ。

時代の風が変わっているようだ。「〇〇が私見を述べた」と書いている連中の方が徐々にお愚かに見えて着ているのだ。そして今燃えまくっている件に関して中立的な立場を撮ろうとしている連中もやはり愚かに見えて着ている。

「よく知らないから中立的な立場になるのは普通だろう」というひともいるだろう。だが誰もそういう連中に審判をやってくれとは頼んでいないのだ。

だいたい審判は最強のポジションなのだ。だけど審判というポジションを取ることも愚かに見えてきている。