世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

今数十年ぶりに正気に返っている

去年かおととしこっちの新市街というところを歩いていて不思議な感覚に襲われた。「ん?」と思ったのだが正気に戻っていたのだ。私は物心ついた時にはもうメンタルがおかしかった。あまりに高ストレスだった。

吉本隆明が母体にいる間のことを考えないのはおかしいと指摘していたが私の母親は私を妊娠している時にヒドク大変だったのだ。精神的にもいろんな面でも。。そういうことから考えると私はこの世に生まれてきた時にはもうおかしいかったんだと思う。

だけど小さい時にはちょっとはマトモなこともあったのだ。その新市街を歩いていた時に私が感じた不思議な感覚というのは私の人生の中にちょっとしかない正気だった時の感覚だった。

そしてさっき下通というところを歩いていてまた不思議な感覚に襲われた。空気を感じるというか。やっぱり正気の感覚だった。

 

おとといの夜に私はエロティックな夢をみた。目を覚まして「EDが治ったんだ」と思った。即物的な話だが勃起はしていた。若い時みたいではないが。だからEDというのは精神的な問題なのだ。聞くところによるとカズレーザーもEDに悩んだらしい。

そして昨日の夜映画「エルビル」を見た。サブスクでだ。前にユーミンが「エルビスとマービンゲイはEDだったと思う」とラジオで言っていた。男を感じないのだそうだ。

 

フロイトがエディプスコンプレックといっている。エディプスコンプレックスはマザコンではない。父親と子供がライバル関係になってしまうことがポイントだ。私は一貫して自分は父親にとってうっとうしい存在だろうと思っていた。正直私は子供のころからできの良い子だったのだ。そして自分の出来がいいからオヤジはツライだろうと思っていた。一貫してだ。こういう風に書くと自分でなんと厚かましいのだろうと思うが実際そう思っていたのだ。

映画「エルビス」の話だ。エルビスの父親が情けないひとなのだ。そしてパーカー大佐というマネージャーがいる。凄腕マネージャーだ。これはは私の最大の恥なのだが私の前にパーカー大佐みたいなひとがいたら私はどこか自分から支配されにいったはずだ。そしてそういうひとは実際にいた。そしてそのひとはもう他界した。

 

同病の女友達がいる。彼女も私同様子供のころから大変だったひとだ。前に彼女に「自分はゲイで」といったことがあるが彼女は「そういうことじゃないと思う」といっていた。その時は「?」と思っていたが彼女は感覚的に違うと思っていたようなのだ。

 

それにしても不思議だ。自暴自棄というわけではなくて(自暴自棄だった時期もあるのだが)なんとなく毎日を過ごしている。もう1年くらい。変な話だがそういう風に気楽に過ごしているのになんとかホームレスになることもなく暮らしていけてるのだ。

本当になんとなく毎日を暮らしているだけなのだが。「ああしようこうしよう」と思っているわけではない。実際今は病状が悪くて世間のことが物理的にできない。でもそんな状況なのに暮らせていけてるのだ。それが我ながら不思議だ。

誰でも多少は「流している」ことがあるはずだ。仕事仲間に腹が立つことがあっても「怒ってもしょうがないか」と思って言わないようなことだ。あるいはヒドク怖くて受け入れられなかったことやあまりの屈辱でやはり受け入れられなかったことがあるはずだ。回復期に私はいったんボロボロになったがその時期に過去のそういう「流しているた」ことを受けていた(らしい)。意図的にやっていたわけではなかった。

 

子供のころに父親の借金の取り立てがあった。ずっと「あんなことはたいしたことじゃなかった」と思っていた。でもたいしたことだったのだ。そういうことの恐怖を感じもした。はっきりは書かないがあるヤツの家を燃やしてやりたいくらいに怒っていたこともあった。そういう時の怒りも(もう何十年も前のことだが)感じていた。子供のころに消えたいくらい恥ずかしいこともあった。母親がやったことを近所のオバチャンから「お母さんなんだったの?」と聞かれたことがあったのだ。そういうことは父親にもあったが。そういうことを受け入れていた。

病気が快復する最後のステップでこういうことを経験したひとは多い。「ホラーだった」というひともいる。そういうことは基本昔のことだ。ひとによっては子供のころの自分の話を聞いたという。私もそういう感じだった。

さっき「あんなことはたいしたことじゃなかった」と書いたがそういう風に自分に言い聞かせてきたことは嘘といえばウソで、自分の声に自分が耳を背けていたということだからだ。ただ昔のことだからその時いろんなことを思っていたのは子供の自分だったり思春期の自分だったり20代の自分だったりする。だから「昔の自分の話を聞いた」ということにもなる。

 

ただ本当に不思議なのはなんとかなっているということだ。これが本当に不思議なのだ。