「ネタ」になったらアウトプット
先日若い友人と話をしていた私が9割がた話していたので、「本当は五分五分じゃないとダメなんだけど」と私が言ったのです。すると彼は「五分五分じゃツライから」と言いました。私が「いろいろ僕もいうけどコレはネタだから」と返したのです。すると彼は「天気予報みたいなものですね」と言うのです。
私はちょっと意味が分からなかったので、彼の話を聞きました。彼は
「天気予報って朝は雨は降らないんだけれども、昼から雨が降るかもしれないって誰にでも言えるでしょ。土本さんの話はそういう話なんですよ」と言うのです。
一般性があるということです。
私が調子にのって「今日の話を君がどこかで誰かにそのままできるよね」というと、彼は「そうですね」と言っていました。
ネタってそういうことです。
職場でイヤな人がいます。どこの職場にもいます。それを適切に話す方法は二種類しかないと私は思うのです。
何故かほほんど全員がイヤだと思っているひとがたいていどこにもいます。いるんですよ。
一個は「実はあのひとのこと嫌いなんですよね」とだけいうんです。信頼できるひとにだけです。
そうすると「僕ね、あの人が嫌いで・・。ナントカさんも嫌いなんだよね」という話になります。
何しろ職場のほとんど全員が嫌いだったり、イヤだったり、ちょっとバカにしていたりするのですから。
ただ、この話はココでとめておきます。
「お互いそのひとのことが嫌いなんだ」という共通の了解が成立するだけで良いのです。
前にも書いたのですが、ある職場で私がある人に、共通でキライなひとがいて、耳打ちをしていたのです。
「次の休みにあのファミレスであのひとの悪口を朝から晩までいいましょう」と。
でもそれはしないんです。
しても気分が悪くなるだけですから。
そしてその人に職場を去って欲しいのかというと、それは違うんです。
そのひとは業務上問題はありました。
でも私と私が耳打ちしていたひとは単に「嫌い」なだけだったのです。
たんに自分たちが「嫌い」だという理由で辞職をせまるのはおかしな話ですから。
でもなんか職場のほぼ全員が何故か嫌うひとがいます。
仕事ができるとかできないとかそういう事とは違うと思うんです。
でも職場のほぼ全員が嫌うひとがいます。
ただ生生しい話を私はしたくありませんし、聴きたくもありません。
あるお互いキライなひとが「こういう失敗をして、こういう風に面白かった」という話なら聞けます。
それはネタですから、「乾いて」います。
湿気がある話は「する」のも「される」のもイヤなんです。
共通の了解を成立させてそれだけにするのか、ネタのような乾いて一般性のある話にするのかのどちらかだと思うのです。
ネタっていうのはそういうもので、話がうまいと下手であるとか、そういうことではないのです。
同じ「悪口」でも、聞いてイヤな気分になる「悪口」と笑える「悪口」があるます。
それは明確に違います。
本人には言わないんですよ、「悪口」ですから。
でもその違いがとても重要なんです。
街にいくらでもいます。
生生しい「悪口」をいっている人たちがいくらでもいます。
ああいうのは、自分とは関係なくても「聴きたくない」んです。
ネタにして欲しいのです。
この説明は難しいのですが、「そのままはいわない」ということでしょうか。
マジメな話、オチがウソでもいいと思います。
ウソを交えてもかまわないと思うのです。
ネタですから。
ウソを交えても良いので「面白い話」をつくるんです。
そういう場面で「正直である必要性」はありません。
ネタなんですから。
こういう思考の流れができると人間関係がとても楽になります。
ある人がいつも気に障る場合に、あなたは別のことを考え始めるからです。
「この人のこの言動からどういう面白い話ができるんだろう」と考え始めるからです。
「気に障る」以外のことを考え始めているのです。
だから人間関係が楽になるのです。
だから「ネタになったらアウトプット」です。