世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

平安時代に先祖かえり

そんなことをやっていたのはおそらく上の階級の人たちだけだったのだろうが平安時代にはお互い会うことがないまま結婚することがあった。会う前に和歌をお互いに送りあった。そういうことを繰り返してお互い納得できたら夜を過ごしていた。そしてそういう事情があったから和歌がうまいかどうかは大問題だった。こういうことに関してずっと言われていたのは「外見は?」ということだ。そういうことになるまでお互い会っていないし夜そういうことをして朝を迎える。だからお互いがお互いの顔を見るとそういうことが終わった朝になる。

性的なことはともかく今の日本でネット上でとても仲良くなってオフ会で初めてあったのだが初対面の時から仲がいいということは実際あるのだ。

 

ということはオフ会は平安時代に先祖かえりしているのだ。

 

また源氏物語の最初の部分だ。光源氏の母親は帝の寵愛を受けるが生霊が来て殺されてしまう。昔から「死霊より生霊が怖い」という。ネット上の厳しい言葉険しい言葉は生霊だ。

 

ということはネット社会は平安時代に先祖がえりしているのだ。

 

また紀貫之の「土佐日記」がある。紀貫之は当然男だ。だが土佐日記で女性という設定で話を進めている。紀貫之土佐日記を書くまえに娘さんをなくされている。わが子をなくした悲しみを表現しようとすると男性という設定では書けないという事情があったような気がする。

もちろんこういうことは一つの理由でそうだったといえるようなことではない。

 

今の日本でも主語に「オレ」を使うと内容も「オレ的な内容」になるし主語に

「私」を使うと内容も「私的な内容」になるし主語に「僕」を使うと内容も「僕的な内容」になるのだ。

 

だから紀貫之の「土佐日記」も現代なのだ。