原理原則 責任と権限・権利・権力はセット
責任と権限・権利・権力はセット。これは原理原則だ。
今マイナンバーカードについて話題になっている。私はマイナンバーには賛成だ。
前に年金記録を一元管理するという話があった。
だがあの話が結局よくわからないままだ。あのことについて誰かが(たとえばアベさんが)悪かったとは思わない。だが私にはあのことがどういうことだったのかいまだによくわからないままで、それが私の勉強不足のせいだとも思えないのだ。日本のマジョリティも同じように思っている(考えている感じている)はずだ。
説明責任という言葉が時々でている。「消えた年金問題」についての説明責任が不十分だと考えていいのではないだろうか。これは主に政府のだ。
冒頭に書いたように「責任と権限・権利・権力はセット」だ。
責任が多いものは権限・権利・権力も多いし、責任が少ないものは権限・権利・権力も少ない。
違う風にいうと権限・権利・権力が多いものは責任も多いし、権限・権利・権力が少ないものは責任も少ない。
日本中でこの原理原則が崩れてはいる。これはこれで事実だ。
お飾りのトップが実際にいるしよくわからない役職についているひともそうとういる。そういうことが私がいう原理原則が崩れているということだ。
だが政府与党が消えた年金問題に関する説明責任が不十分だった(つまり責任を多く負わなかった)から政府・与党のマイナンバーに関する権限・権利・権力が薄れているのは事実だ。
政治家だけが悪いわけではもちろんない。だけど例えば「辞職することが責任を取ることのすべてではないと思う。仕事頑張ります」という発言をした政治家が何人もいる。ああいうことは責任を取らなかったといえるはずだ。その意味は自分で自らの責任を小さくしたということだ。そういうことは自らの権限・権利・権力も小さくしたということでしかない。
ただ政治家は顔と名前が出ているからまだいい。むしろ顔と名前が出てない人たちのほうが問題なのだ。
私みたいなマイナンバーに賛成の人間でも消えた年金問題がよくわからないわけだしマイナンバーカードを信用してくれといわれても正直信用できない気がする。マイナンバーカードを携帯していることが危険だとは思わない。クレジットカードは携帯しているのだから。だけど現状私企業であるクレジットカード会社のほうが日本国より信用できるように感じてしまう。
こういう事実から考えると「責任と権限・権利・権力はセット」という原理原則は崩れていない。
ということはあるひとが責任を取れない(取らない)とそのひとは権限・権利・権力も失ってしまうということだ。