一時間なかったことにしよう 大島渚さん
そのひと、そのひとの適性があるようです。
私は正面切って突撃するような適性がありません。
作戦を練るとか、アイディアを出すとか、そういう適性はあるようです。
実際似た適性の方と波長が合うようなのです。
あるときになぜか、そういう話になり、「副っていいですよね」と言われました。
「社長」と「店長」をやるのは気が向かないということなのです。
ほかにも事実「副代表」をやっている方とはお友達です。
ある時に音楽家の小林亜星さんが激怒していたのです。
小林さんはそういう適性なのでしょう。
その場にいたほかの音楽家のかたがとりなしつつ、違う対応をしていらっしゃいました。
その音楽家の方には激怒して正面突破する適性はないのでしょうが、とりなしつつ、うまく対応する適性があるのでしょう。
大島渚さんはもちろん映画監督でした。
つまり演出家です。
「朝まで生テレビ」で大島渚さんが「バカヤロー」というのが名物だったのですが、大島さんは演出家ですから、考えていたと思うのです。
「この議論はそうとう方向性が違うと思うし、ちょっといじるくらいではどうにもならない状況になっている。じゃあ一時間はなかったことにしてしまうのが一番的確なのかな」と。
結果「バカヤロー」だったと私はみています。
今の日本語では良い意味なのか悪い意味なのか不明なのですが、「煮詰まった」状況というものが存在します。
微調整くらいでは、どうにもならない状況です。
良くも悪くもです。
そういうときに「捨てる」という選択が実は一番有効な場合があります。
しかしそれまでの苦労を思うと捨てがたいのが普通です。
そこで、そうであっても「捨てる」ことが実は一番有効なことはわかってはいるのだけれども、その選択はやはり難しいのでしょう。
もちろん私もそうです。
ただ「捨てた」ほうは良いとどこかで感じてはいます。
大島さんは演出家として、そういう経験をたくさんしていたのでしょう。
だから一時間はなかったことにするのが一番適切だと思うと「バカヤロー」だったと私は思っています。