与党のかたが「野党は少数の横暴」と発言しているとネットニュースで知りました。
民主主義には不思議な習慣が存在します。
「多数決」です。
あの時に、私は困っていました。
その場のコンセンサスが読めない状況なのです。
私は自分の仕事をかたづけながらコンセンサスをなんとかしないといけないなと思って必死でした。
一応リーダーはあのひとだし、根回しがいるしとおもいながら仕事を片付けるのが大変だったのです。
基本絶対的なコンセンサスをいきなり形成するのは不可能です。
場合によっては一年かかるかもしれない作業ですし。
場合によっては10年、20年かかっても形成されないかもしれまん。
ですから、ある場面である決定をする必要が出て来ます。
その時に有効なのが「多数決」です。
そもそも「多数決」にはたいした根拠は存在しません。
少数派がただしい場合も多々あるからです。
ただ「民主主義の手続き上」ほかの選択肢はおそらくありません。
よく「強硬採決」という言い方をするのですが、この言い方じたいに与党の方には文句があるはずです。
「ただ採決しただけではないか」ということです。
もちろん、そうなのです。
ですから「ただの採決」と「強硬採決」を分けるのは「ただの手続き」です。
でもその「ただの手続き」が民主主義を維持する上ではとても重要になります。
もう野党は反対だけしていればいいという時代ではないし、そこは野党のみなさんもわかっているはずです。
「そういう古ぼけたやり方がイヤなんだ」という政治家の方もいると思います。
ある種の根回しであるとか、「国対委員長」同士の話し合いの意味が変わってきています。
以前は自民党が「与党」だと決まっていて、代表は旧社会党ですが、ネゴシエーションをしていました。
それに昔の自民党には「大臣」よりも派閥の長のほうが力があるような状況があったではないですか。
今とは大幅に状況が違います。
ですから、昔の根回しやネゴシエーションと今の根回しやネゴシエーションでは意味がまったく違うはずです。
「国会」はそもそも「会議」です。
「会議の前に一定程度の議論の幅を決めておいた方が議論は活発になります」。
そうですよね。
繰り返しになるのですが、昔と今では状況が違うので、同じような根回しやネゴシエーションだとしても、今やれば意味が違います。
「国会」は「会議」ですし、ののしりあいの場ではありません。
それは与党であれ、野党であれ、そうです。
私は言い古された言葉になってしまいますが、「活発な議論」をしていただきたいのです。
そのための根回しであり、ネゴシエーションです。