安部首相高支持率の謎を探る 日本社会の変容 「事実」と「意識」
安部さんの支持率がいっかんして高いでしょ。
「理由がわからないなあ」と思っているかたも多いと思います。
安部さんを支持しているひとは、この言葉難しいんで、使いたくないんですけれども「自分は負け組だ」という「事実」を「認識」しています。
また「自分はマイノリティだ」とかいう「事実」も「認識」しています。
「負け組」とか「マイノリティ」とか、それは「事実」です。
ただそういう「事実」の「認識」をしているひと全員が安部さん支持でないのが難しいところなのです。
日本社会に「分離・分断状況」が存在するから、「負け組」全員が安部さんを支持しませんし、「マイノリティ」全員が安部さんを支持するわけではないのです。
日本社会が変容しています。
ある時期は「会社員」がいました。
「会社員」が「勝ち組」で「マジョリティ」でした。
過去形です。
あなたは今の日本社会の中心というか、中核を誰が担っていると思いますか。
日本社会はずっと会社員でした。
でも今は会社員ではありません。
高級官僚が中核ですか。
政治家さんですか。
ネット民ですか。
違いますよね。
日本社会の中心というか中核というか、マジョリティっていうか、そういう存在がどういう人たちなのかが「見えますか」。
「見えない」状況です。
全員「見えて」いないし、「あそこに行きたいな」とかいうっていう「理想」がない状況です。
変なことをいうようですが、長年日本人の「理想」は「会社員」でした。
実は「会社員」という「理想」を日本社会は持っていました。
「意識」の問題です。
ここが崩れています。
新しい「理想」がないとみんな苦しい状況です。
微妙に「会社員」があこがれる仕事もあって、カタカナ職業とかが、そうだっでした。
代表はミュージシャンだと思いますが。
ある種のネットワークをもっていたり、ある種の、あえていうならば「ちから」がある人たちと、そうじゃないひとに今の日本社会は分かれています。
今の日本社会は「引き裂かれている社会」です。
そういう「分離・分断」が日本社会に起きているんです。
この「分離・分断」はデータから読み解くことがとても難しいです。
「事実」ではなく「意識」の問題だからです。
一方の「意識」はある「欲望・欲求」につながっていきます。
「ここではない、どこかへいきたい」とかっていう「欲望・欲求」です。
「ここではない、どこかへいきたい」という「欲望・欲求」を一言でいうと「改革」です。
そこには「理想」があります。
「理想への道筋としての改革」がかつては存在しました。
いわゆる安保闘争は「怒り」の暴発であるとか、次の世代への権限移譲のような意味のほうがむしろ強く、「日米安全保障条約そのもの」は実は重要ではなかったはずです。
「改革」には「理想」が存在しません。
「ここを目指す」っていう「理想」が欠落しています。
「共産主義国家」を目指すとかの「理想」が欠落しているから、「改革」ってわけがわからないんです。
ある種のネットワークをもっていたり、ある種の「ちから」があれば、「ここではない、どこかへいきたい」とは思わないのです。
姜尚中さんの「悩むちから」や阿川佐和子さんの「聞くちから」が売れたのは実は偶然ではありませんでした。
安部さんの高支持率がわからないといっているひとたちは「ここではない、どこかへいきたい」とは思っていないはずです。
これは「意識」だから可視化はほぼ不可能です。
日本社会の「分離・分断」状況も見えづらいです。
「改革」は「意識」や「欲望・欲求」に支えられているはずです。
「ココはイヤな場所だ」と認識し、「日本社会に良い場所はおそらくない」という認識した」「意識」は、「ここではない、どこかへいきたい」つまり「改革」したいという「欲望・欲求」を持つということです。
これは日本社会全体の構造や意識を深堀りしない見えない問題です。
「オレは別にココにいて、そんなに不満じゃないし」と思えば、「改革」にこころひかれないでしょ。
だから「安部さんの支持者ってバカなんじゃないの」とか思っている方々はぜひ考えてください。
皆さんに「問い」っていうか「設問」が投げかけられています。
私は結構ココで良いとかいうひとですよ。でも、
「日本社会に僕はいます。僕はココにいて、ココはイヤです。日本社会のどこかに良い場所があるとはどうしても思えないのですよ、少なくとも僕には。でも、そういう場所があるように思わないと、そういう場所があるくらい思っていないとおおげさに言うと僕の生死にかかわるとも思えるのですね。だけれども僕にはこの設問がどうしても解けません。わかりやすく日本社会のこの場所はいいよとか用意してくれるとすごくうれしいんですが、そういう場所は日本社会にははないような気がしてならないんです。でもそういう場所が日本社会にはあるんでしょ、ありますよね。最低限僕にいえるとしたら僕はココはイヤだということだけですね」
という「問い」だし、「設問」です。
私がこれを考えるのは筋が違うと思います。
何故なら私は「安部さん支持じゃないけれども、負け組のマイノリティだから」です。
とか書くと「イヤ、オレもそうだよ」と皆さんはいうと思うんですよ。
当然です。
今の日本社会には「負け組のマイノリティしか存在していないから」です。
これはおそらく「事実」です。
でもみなさんは結構ココでいいかなとか思ってるでしょ。
それは「意識」でしょ。
現代日本社会は「結構ココでいいかな」というひとと、「ここではない、どこかへゆきたい」というひととに「分離・分断」されている状況なのです。
この「分離・分断」がデータから読み解くのが極めて困難だというのは「お金をもっているから勝ち組だ」とか「結婚しているから勝ち組だ」ということとはまったく違う問題なのです。
「お金をもっている」であるとか「結婚している」であるとか、それは「事実」ですから。
私も「事実」として良い年をして「貧乏」ですし「独身」です。
「事実」そうです。
安部さんを支持している若い友人のほうが私より「お金もち」ですし、彼は「結婚して」います。
「事実」としては彼は私からみれば「勝ち組」の「マジョリティ」です。
私からみればにしか過ぎませんが。
ほとんどのひとが、世間には「勝ち組」の「マジョリティ」が「存在」するという「意識」をもっていると私は想像しています。
あくまでも「意識」の問題としてです。
しかし「事実」の問題としてとらえると今の日本社会に「勝ち組」の「マジョリティ」は存在しないのです。
混乱状況なのです、「勝ち組」の「マジョリティ」が「存在」しているという「意識」を持ちながら、「勝ち組」の「マジョリティ」は「存在」しないという「事実」を普通に認識しているのですから。
普通におおくのひとがこの混乱状況にあると私は考えていますし、この混乱状況が多くのひとにとってとても苦しいと私が考えています。
安部さん支持の若い友人ですが、混迷を極める日本社会の中で彼が「事実」として、どういう場所にいるのかは私には解析不能です。
一国の総理大臣を例に出すのはとても失礼なのですが安部首相を例にとって考えてみます。
安部首相は「日本国の総理大臣」です。
「事実」そうです。
しかし、私は安部さんは「事実」として、自分は「負け組」の「マイノリティ」だという「意識」をもっていると想像といるより妄想しています。
しかも私は安部さんは自分は「負け組」の「マイノリティ」だという「事実」を「認識」していて、しかも、それは「当たっている」と考えています。
「事実」としても、安部さんは日本は結構大国で、安部さんはその国の「総理大臣」です。
「事実」そうですよね。
日本国の首相をなさっているかたが「事実」ととして「負け組」の「マイノリティ」にしかなりえないのが、「現代日本社会」なのです。
少なくとも私はそう考えています。
これは私の妄想です。
しかし私には安部さんはそういう風にしか見えないのです。
余計なことばかりを書いていますが。
この可視化がきわめて難しいのは、現代日本社会が抱えている「分離・分断」は「事実」ではなく「意識」に基づくものだからなのです。
もう他界しましたが母からある時に「共稼ぎならなんとなるでしょ。結婚しなさいよ」と言われていて、「この稼ぎしかなくて、なおかつ仕事が忙しいわけだから結婚すると奥さんや子供が大変だし、だいたいそんなヒマはないでしょ」といわなかったのですが内心思っていました。
私の当時の自分自身の状況分析はおそらくただの「事実」を解析しただけだったと思っています。
余計なことを書くと、私がそういうただの「事実」の解析ができなければ「結婚して」いた可能性があるということです。
歴史にイフはないのですが、もし私が結婚していたら奥さんや子供が大変だっただろうなと思います。
私には人格上の問題もありますし。
どうでも良いことなのですが、100%離婚していたでしょう。
私は自分をひととしいうレベルでダメな存在だという「意識」をもっています。これはもちろん「意識」なんですよ。「事実」がそうでであって欲しくはないのですが、よくわかりません。
この「問い」ならびに「設問」は今の日本社会で「イヤ、結構ココでいいかな」とか思っているひとは全員考えるのが筋の「問い」だし、「設問」です。
現代日本社会がそういう「分断・分離」状況に置かれていると認識しないと「なにがなんだかさっぱりわかりない」と私は思うのです。
みなさん考えましょうね。
こういうことを書いた以上は私はやはり橋本治さん弟子だとなのるのが筋のようです。