読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

いい意味、「運動部」、「体育会系」をほめます

前に悪い意味で「体育会系」のエピソードを書いたので、今度は良い意味で「運動部」、「体育会系」のある種の精神性みたいな話を書きます。

 

その方は生長の家の熊本支部の代表をしばらく奉職されていた方です。私が本当にお世話になった方のお一人なのですが。結構気分屋ですし、発言内容に一貫性がなかったりする方です。そういうところも含めて私はその方の事が好きだったのです。(性的な意味ではまったくありません)ひどく叱られたこともありましたが、それは叱られるようなことを当時の私がしていたからだけの事でした。

 

別の「感性」みたいなものをもっているひとがその方のような言動を取ったのであれば私はイヤだったと思います。でもその方は元野球部ですし、どこか「感性が乾いていた」のです。当時の私にもそれがわかっていたようで、その「乾いた感性」があったから気分屋だったり発言内容に一貫性がなかったり、ひどく叱られても、私はそんなにイヤな思いにならなかったのだろうと思っています。順序を変えていうと「乾いた感性」持っているひとはどこか「気分屋になり、発言内容に一貫性を欠き、ひどく𠮟りつけるような言動を取ってしまう」ものなのだと考えています。

 

私自身にはそういう「乾いた感性」がないので、繰り返しになるので書きませんが、そういう言動を取らないところがあるのだと思っています。

 

そういう「感性」が感じとれないひとにとっては意味がよくわからないと思うのですが。そういう事があります。

 

あなたがもし厳しい「運動部」や「体育会」の出身なら、この話はすぐわかるはずです。同じように厳しい先輩が二人いた場合、一人が「乾いた感性」をもっていて、もう一人には「乾いた感性」がなかった場合に、圧倒的な差があります。「乾いた感性」をもっているひとの厳しさならば、どこか平気だったはずです。でも「乾いた感性」がない先輩から厳しくされるとホントにイヤだったはずです。同じ運動部や体育会に所属していて同じように過ごしているつもりのひとの中にも、こういう違いがあります。「乾いた感性」がない人や「乾いた感性」を感じることが出来ない人には意味がまったく分からないことですが。あなたが例えば先輩になったときに「アイツがやっていることの方がオレがしていることよりヒドイのに何故アイツは後輩から慕われているのだろう」ともしあなたに思った経験があるのなら、あなたには「乾いた感性」がないし、それを感じる「感性」もないのだと私は思うのです。

 

この話は分かるひとにとっては当たり前すぎてことさらいう必要もないような事柄です。