二次情報の重要性と問題点
私は二次情報でいろいろ勉強します。それは報道でもフィクションでもそうです。ジャーナリストであったとしても自分の専門領域以外については二次情報で勉強しているはずです。ただ今の日本は二次情報が変なカタチで流通していて私は不愉快です。
前にトランプさんの演説全文の日本語訳つきを紹介しました。トランプさんがあれだけ話題になっているのにトランプさんの言動を二次情報でしか知らないと考えています。
それも浅い二次情報です。
その薄い二次情報だけを元にして「ああだ、こうだ」いっているテレビ番組が死ぬほどあります。偏りは良いです。
でも薄い二次情報しかこの人たちは知らないんだとしか思えないひとがテレビで「ああだ、こうだ」いっているのです。当然私は見もしませんが。
街角や職場で言うのなら構わないと思うのです。それは世間話ですから。その世間話程度の話題をテレビをしています。辞めて欲しいのですが。それをある種の「責任ある発言」になるのです。
当然「録画」されているはずですし。
そういう日本語はないのかもしれませんが「発言責任」があるのです。
政治家の方がわかりやすいでしょう。パブリックコメントという考え方があります。そういう方がどういうひとなのかしりませんが、テレビでの発言はパブリックコメントに準ずるものです。
そういう人たちは深く考えずに言っているのでしょうが、ああいう発言はパブリック米とに準ずるコメントです。
政治家の方が失言で辞職しています。ああいう発言をしているひとも「みずからの仕事を失う」ということが多いにありうるということを踏まえてください。
違う立場の方がああいう無責任なひとを追求しても構わないとも私は考えています。あの人達は追求されて当然の無責任極まりないことを普通にお金をもらってしているのですから。私もそういう話はしますがカメラも録音機材も回っていない場所でしていますし、お金ももらっていませんから。ああいう人たちとは違います。