二次情報とはとても有益です。
映画観ただけでこういうことがわかるんだと思うことがありますから。
「スピード・クライム」という映画を観て、
「カトリーヌにUSはこんなにこたえてたの」と思いました。
「スピード・クライム」のなかに下品な言葉なのでそのままは書きませんが、「アメリカン・ドリームなんてあんなものは・・」とそうとう怒っている場面があります。
まだ見ていないんですが、日本映画で、小説も高評価なのですが、五味川純平の「戦争と人間」を佐高信と姜尚中さんの対談本で知りました。
私はぜひ観たいのですが、近くの蔦屋にちょっとないみたいなので、アマゾンプライムでみようかなと思っています。
小説のほうを張っておきます。戦争大河小説です。
五味川純平先生いい仕事をありがとうございます。
何故あなたにお勧めするのか。
おもしろいからです。
「スピードクライム」も結構えぐい映画なのですが、面白いんです。
たとえば、佐藤優さんは沖縄の地方紙を取っています。
ケースによって違うのですが、直接取材をするよりも二次取材のほうが効果的なことがあります。
日本の前の戦争に関しても、五味川純平の創作物(鬼みたいに取材していて、あるモデルになったかたが『あれは実はオレで』とかちょっとうれしく思うような鬼取材です)なのですが、私が立場があるので大東話戦争をいわないと怒られるのですが、大東話戦争に関して「わかる」ための題材として、「戦争と人間」は極めていいものです。
佐藤さんが沖縄の地方紙を取っていると書きましたが、例えばですよ、あなたは沖縄のことを知りたいと思っても、どこから手をつけていいのかわからないでしょ。
国際通り、美ら海水族館にいっても、「沖縄のことがわかった」とはいえませんよね。
佐藤優さんのように「沖縄の地方紙」を読むほうが、より的確に「沖縄のこと」(気分や雰囲気までふくめて)わかると私は思うのです。
いわば佐藤さんの沖縄取材は基本二次取材です。
でもこれは非常に効果的ですよね。
私はジャーナリストではないので、佐藤さんの書かれたものなどを読むひとです。
たとえば私が中学時代にスティーブン・キングがデビューしました。
デビュー作の「キャリー」が面白いのです。
アメリカのハイスクールものでこういうアプローチの作品は初めてでしたし。
中学生ですし、その言葉はまだ知らないのですが「キリスト教原理主義者」、キャリーのお母さんで、まあ偏ってはいるのでしょう、がアメリカにはいるんだとなんとなくわかるのです。
アメリカのハイスクールの「暗さ」みたいなものがあるんですよ。そこを描いているのが恐い映画だということ以上に魅力的です。
また出てくるのですが、渋谷陽一さんが、多分イギリスの白人ミュージシャンがブルーズの非常に大事な曲をパロディにしているという話を読むのはある種二次取材でしょ。
私はいまだにオリジナルも、それをパロディにした曲も聴いていないのですから。
余計な話なのですが、あえてブルーズの名曲をパロディにしたというのは「白人の俺たちにブルーズは無理なんだ」というある種の敬意のあらわれだと思います。
アメリカのブルーズを題材にした映画で「クロスロード」という作品があります。
この映画は面白です。けどやっぱり難しかったんですねと思いました。
ジュリアード音楽院のようなところに通っているエリート白人青年と黒人のおじいちゃんとロードムービーなのですが。
本来なら、その青年が「彼のブルーズを発見する物語」にしなければならないからです。
たとえば「僕にはブルーズは無理だった」というオチでもいいでしょ。
この映画はそこがあいまいなんですよ。
日本人の僕でも、たとえば細野晴臣さんがテクノをやったでしょ。
あれって細野さんがさんざん黒人音楽をやるんだけれども「やっぱりオリエンタルの自分はそういうことをやってもモノマネ以下だ」としか思えなくて、「それじゃ機械のビートでやるのなら、黒人だろうと、白人だろうと、東洋人だろうと、等距離で接することができるだろう」ということが前提なんです。
そういう話の運びでもいいんですよ。
そこが「クロスロード」が曖昧だから。
ただ「ブルーズをやりたい」って思っただろうな、このスタッフの面々と私は思うんですよ。
でも、そのことに関しては非常に的確でクレバーがアイディアがないと挑めないんですよ。
私にはわかないことですよ。
ブルーズはアメリカ人にとって、おそらく魅力的なんでしょう。
でも、ブルーズにどう接するのかであるとか、どういう扱いをするのかが、やっぱり難しいんだなと、私は「クロスロード」から学ぶわけです。
「原理主義者」について説明する必要があると思うのですが、「原理原則に基づいて日常生活を送ります」というのが「原理主義者」なのかなと私はぼんやり考えています。
普通あいまいというか、どこかいい加減じゃないですか。
神道でも、仏教でも、儒教でも、キリスト教でも、ユダヤ教でも、イスラム教でも。
私は生長の家の「誌友」なるものをやっているからリアリティがあるのです。
生長の家ってメタ宗教を目指したとこがあって、改宗しないんですよ。
だからウチは浄土真宗だから、真宗の「信徒」で、生長の家の「誌友」です。
これは矛盾しないんです。
生長の家では「薬物」、お薬には否定的っていうか、そもそも「飲む必要がない」というし、戒律はありませんが、「酒やタバコは必要ないものだから飲むのも吸うのも本来NGです」。
でも私は風邪をひくと仕事を休みたくないので風邪薬を飲むし、酒はたまになんですが、愛煙家です。
であるとか生長の家の誌友のお医者さんは「薬はのまない」という患者さんは困るんだよねとかいうし、日本酒が良いんだけれども二日酔いを考えると焼酎かなというんですよ。
私もこのお医者さんも「生長の家の原理原則を無視して暮らしている」でしょ。
ダメでしょ。
お互い誌友ですし生長に家に対するそれなりの気持ちはあります。
でも原理原則を守って生活するのは厳しいよねと思っているし、守っていないという意味で「生長の家原理主義者」ではないんですよ。
それが例えば儒教であったとしても「原理原則したがって日常生活を送る」のは難しいことです。
それをちゃんとやっているひとたちが「原理主義者」です。
悪いことでもなんでもありません。
たかが歌でもビリーホリデーの「奇妙な果実」があるのですが。
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ビリー・ホリデイと『奇妙な果実』―“20世紀最高の歌”の物語
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これはググってください。
私は「理解不能」だと思い知りました
本当に余計なことばっかり書いていますが、「愛の讃歌」っていうシャンソンの名曲があります。いまあなたが聴くとしたら二つ聴いた方がいいですね
どちらのすばらしいものです。
越路吹雪さんの「愛の讃歌」の歌詞は岩谷時子さんの仕事でそうとう意訳です。
これは越路さんのシャンソンに対する姿勢や敬意のあわれです。
ある時に実際にパリに言って本場のシャンソンを越路が聴いてるんですよ。
越路さんは「これは私には無理だ。まったく違う」と思って、「断念」しています。
「自分のはお茶漬けシャンソンだから」というのはそういうことなんです。
でも美輪さんはもとの歌詞をそうとう忠実に日本語にして「挑む」んでいます。
ともに素晴らしいのだけれども、姿勢やアプローチの違いがお二人の「愛の讃歌」の違いになっているんです。
シャンソンに対する越路吹雪さんの姿勢を取るのか、美輪明宏さんの姿勢を取るのか、あるはパロディとかコピー以下とか。
「クロスロード」は曖昧だとか、的確でクレバーなアイディアがないと無理というのは、そうでしょ。
監督は本当に「ブルーズ」をやりたかったと思うんですが、なおかつそれが難しいんですよ。
僕は二次情報や二次取材以下です。
でもこれだけ書いているでしょ。
余計な悪口を書いて終わりますが、「なんとかをバッサリ」とかそういうことを喜ぶ風潮があるでしょ。
2016年でいうと「トランプさんをバッサリ」とか。
池上さんはNHKでさんざんいろいろやって、NHKの最後のほうに「週刊こどもニュース」をやって、そのあと民間放送や雑誌の連載です。
池上さんを参考にするのは良いですよ。
でも「池上彰がやってくれた」という「感じ」は池上さんに失礼だと私は思うんですよ。
そういうのは私は違うと思います。
気持ちはわかるんですが、世の中たいてい「バッサリ」いったくらいでは済まないということを覚えていてください。