差別と職業蔑視の現実
上は現代ビジネスの記事の引用だ。筆者は小林 一哉。
小林は川勝知事はスケープゴートにされたようなことを書いている。
一面これは当たっている。
日本中にひどい職業蔑視が溢れている。あるいはひどい差別もだ。
前にNHKのドラマで元キャバクラ嬢が宅配の仕事を始める物語があった。この物語ではキャバクラ嬢はダメな仕事だ。
他にも清掃の仕事はくだらない仕事のように扱っていたドラマもあった。
日本の大手新聞は宅配を行ったいる。そして「宅配を守る」と言っている。だがそういう言っている(そういう記事を書いている)新聞社の連中は新聞配達はしない。いろいろいってもその理由は新聞配達のことも新聞配達員のこともバカにしているからだ。
NHKでいえば受信料を集める仕事もそういう仕事をされてる方のこともNHKのアナウンサーやディレクターたちはバカにしている。
昔朝まで生テレビで管さんが何やらひどい差別発言をしたようだ。ここをワタシは見ていない。ただ司会の田原総一朗が「ひどい差別」といったのだ。すると管さんは「今のが差別だというのなら誤ります」といった(はずだ)。
川勝知事の発言についてだ。
発言の中にでてくる「野菜を売ったり、牛の世話をしたり。モノをつくったり」というような仕事に関して。
ある考え方ではこういう仕事は「尊い仕事」あるいは「大事な仕事」となる。
だが「野菜を売ったり、牛の世話をしたり。モノを作ったり」する仕事はおそろしく頭を使う仕事だ。バカではできない仕事。頭脳労働。
だが川勝知事はそう思ってはないないのだ。頭なんか使わない仕事だと思っている。
こういうことを差別という。
ここは感謝する。
差別の定義ができた。
①事実を誤認している。
②あるひとある職業あるグループをバカにしている
③事実を誤認している本人に事実を誤認しているという自覚がない(自覚すらない)
この3つの要素を満たしていることを「差別」と呼ぶべきなのだ。
日本全体がこういう差別のつけを払うことになるようだ。
もう出ているのが運送業。物流が麻痺したらいくらお金があってもモノが買えない。バス鉄道地下鉄が人手不足で動かくなったら公共の交通機関でしかうごいてないひとたちは動けなくなる。
そうなったら川勝さんも記事の筆者の小林 一哉もどうするんだろうね。管さんも。