バブル崩壊後の責任と権利権限権力の曖昧さ
これは原理原則だ。
責任と権利権限権力はセット。
責任が大きければ権利権限権力も大きい。責任が少なければ権利権限権力も小さい。
同じことだが。
権利権限権力が大きければ責任も大きい。権利権限権力が少なければ責任も小さい。
バブルとバブル崩壊の頃から日本中でこれが曖昧になった。実際お飾りもトップもいるにはいる。お飾りというと言い過ぎだが権限が大幅に削がれているトップたちもいるのだ。
そしてある種の人たちにワタシはずっと怒っていた。「あんなことをしておいて何の責任も取らないではないか」と。
でも彼らは自分で自分の責任を放棄していた。ということは彼らは自分で自分の権利権限権力も放棄していたのだ。
あるいは本人たちの権利権限権力に対応する責任を負わないでいた。
これも同様だ。責任を負わなかったということは責任を自分で放棄していた。だからそういう人たちは自分で自分の権利権限権力も放棄していたのだ。
ワタシはそんなふうには思っていなかった。でもやっぱりそうなのだ。
これは一部の権力者のことではない。日本中でこういうことが行われていた。
そしてそいいう人たちの権利権限権力が今目に見えて落ちていっている。
もっと前にはそうなっていたのだろうがそういうことが物理的に具体的にあらわれてきている。