世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

ネットニュースの見出しに来る名前 たとえばラサール石井と堀江貴文 と問題の出題

私自身がそうだからだがネットニュースの見出しに来る名前のひとに反応している場合

共感よりも反感がベースにあることが多い。こう書くもわかりづらいからもうちょっと具体的に書く。

またアイツが余計なことを言っている」と思ってそのアイツ(それはラサール石井さんかもしれないし堀江貴文さんかもしれないし和田アキ子さんかもしれないし上沼恵美子さんかもしれないし爆笑問題太田光さんかもしれないし松本人志さんかもしれない)と思ってそのアイツの記事を読んでいるのだ。

ということはネットニュースの場合は固有名詞が重要であるはずだ。

そして「またアイツが余計なことを言っている」と読者に認知されることが重要になる。そして「またアイツが余計なことを言っている」の「また」がポイントだ。

これはもちろん私がこうなっているということにしかすぎない。でも事実私はそうなっているのだ。

もちろんこのアイツはひろゆきさんの場合もあるし著名な政治家の場合もある。

 

現実がこうなっているのだとしてこの状況を変えるには(終わらせるには)どうしたらいいのか。みなさんこれを考えてください。

私からの問題です。そしてこの問題の答えを私は知りません。だからこの問題の採点は私には不可能です。何故なら私はこの問題の答えを知らないしこの問題の答えがわからないから。