日本語にはいろんな種類があります。明治に入って無理やり言文一致させたこと自体そうとう無理やりでした。
今日本に「アナウンサー」という仕事があるのは「言文一致」と「日本共通語」の存在ゆえです。
あなたは言文一致はわかるが「日本共通語ってなんだ!」と思ったのかもしれません。
ある時期までは日本人は違う言語を使っていたのです。その中で何を「共通語(あるいは標準語)」にするのかという問題は存在しなかったのです。
そもそも長く日本人は「藩」の中で一生を終えるのが普通でしたし、全国共通の「言語」は必要なかったのです。
東京人ならわかるはずですが「東京弁」と「標準語」とは違います。
「標準語は人工言語なんだ」と考えた方がいいのかもしれません。
知らなかったのですが「おかあさん」という日本語は明治政府が作ったのだそうです。
日本が明治というステージに立った時に「全国標準語」が必要となったのです。
同時に明治政府はある必然性に迫られました。明治の一般庶民に江戸以前の文献を読めなくしたのです。だから明治の偉い人たちは言葉を変えたのです。
近松も源氏物語も明治の一般庶民に読んでもらってはこまる状況になったのです。
今の一般の日本人が読めるのは明治以降の文章です。これは明治政府の仕組んだことが原因なのです。
アナウンサーの話に戻りますが、「アナウンサーはかまないことが重要」です。
でも、あなたは「かまないで話す人たち」を日常的に接しています。
例えば駅員さんやバスの運転手さんです。あの人たちは独特の発音、発生、イントネーションに話します。独特です。でも、あの人たちは「かまない」のです。
あるいはセリがあります。市場のセリ人のことを考えてみてください。だみ声です。独特の発声、発音、イントネーションです。でもあの人たちも「かまない」のです。
一応「正しい日本語」という規範は必要なのかもしれません。でも今(2018年)の日本なら、そこまでその規範は強力である必要性はすでにないと私は思うのです。
私はいわゆるニュース番組は観ないのですが日本テレビの「ニュースゼロ」を見てキャスターの小山慶一郎さんをとても好ましく思いました。
抜群の安定感なのです。ただ髪型が変わっているとは思っていたのです。そうしたら彼はジャニーズ事務所のアイドルだったのです。
小山さんがあれだけやれるということはもはや「アナウンサー」という仕事は必要ないと私は思いました。
野球の中継にしてもサッカーの中継にしても、今となっては「アナウンサ-」ではなくDJが放送していいと思うのです。
実際サッカーやバスケットの試合の時にはDJがいて会場を盛り上げています。
彼らの日本語も独特です。
Jーwaveを代表する「話し手」はクリス・ケプラーさんです。ケプラーさんの日本語も独特です。
NHKのアナウンサーの日本語とは明らかに違うのです。
私は行ったことがありませんが、「クラブDJ」の日本語も独特です。
ここまでいろいろな「話す日本語」がある以上、そしてそれぞれの「話す日本語」が成立している以上、もはや「アナウンサーという仕事」は必要がなくなったと私は考えています。