世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

レイスジョーク(人種笑い)を日本に導入しましょう そうしないと大変です。

アメリカ人の友達に確認を取ってから書くつもりだったのですが、書いてしまいます。何もかもアメリカのマネをする必要はないのですが、アメリカにレイスジョーク(人種笑い)というものがあると小林信彦さんのコラムで知りました。

 

これ例えば「自分がユダヤ系のアメリカ人」である場合に自虐のような笑いを取ることらしいのです。このケースでいうとユダヤ系以外のひとがそういう笑いを取るのは基本NGらしいのです。

 

今も活躍されているのでしょうか、日米貿易摩擦が激しかった頃に日本人の女性が「日本人はこうなのよね」というレイスジョークで人気があったようです。

 

彼女のネタの笑いのツボはアメリカ人の笑いのツボなので基本日本人には面白くありません。ただ日本人の私も日本企業のあることに正直うんざりしていたので、このネタを今でも覚えています。彼女のネタの一つを以下に書きます。

 

「日本人はセックスも取扱説明書を読んで勉強するの。何ページからだかわかります。69ページからよ」というものです。

 

私も日本企業の工業製品の取扱説明書の丁寧さにうんざりしていましたから、「あのうんざり感はみんなが感じているんだ」と当時思ったのを思い出します。

 

私自身もマイノリティだからわかるのですが、自分がマイノリティであることをネタにして、自分が笑いを取ることには問題はないと思いますし、ガス抜きといったら怒られるかもしれませんが、そういう笑いは社会の潤滑油になると思うのです。

 

たとえば「おかま」という言葉は蔑称なのですが、これをLGBT当事者が使って笑いを取ることには何の問題もないと思うのです。しかしこれをLGBT以外のひとが使って笑いを取ることには違和感があります。「笑われて当事者がイヤな思いをしない」のなら問題ありません。しかしコレは難しいのです。腕があるコメディアンであればできると思うのでケースバイケースです。

 

もう触れたくないのですが、乙武洋匡さんが一頃自分の体の障害をネタにして笑いを取っていたらしいのです。(吉田豪さんのラジオでの発言をユーチューブで聞いて知りました)

 

乙武さんがこのネタ(これをレイスジョークを私はとらえていますが)を生放送でしてしまうとディレクターが飛ばされていたそうなのです。

 

レイスジョークという考え方に基づいて、乙武さんのネタを考えてみると何も問題もないネタです。乙武さんが以外のひとがこのネタをやって乙武さんがイヤな思いをするのは当然NGなのですが。

 

レイスジョークっていいでしょ。

 

日本でもいろいろなマイノリティとともに暮らす日訪れています。マイノリティとともに暮らす知恵としてレイスジョークを日本に導入したほうが良いと私は考えているのです。

 

いろいろなマイノティのかたで笑いが好きなひとはレイスジョークを持ちネタにしてコメディアンをしてスタートを切っても良いはずです。

 

「レイスジョーク」は「概念concept」です。

 

フジテレビのドラマ「逃げ恥」で美青年がゲイだったという設定にされていたようです。制作スタッフの意図としては「笑い」だったと想像しています。「こういう設定の方が面白くなる」といったような。それはありうると思うのです。ただ美青年が実はゲイだったという設定はレイスジョークというコンセプトから考えるとNGですね。面白い設定だとは思うのです。ゲイ以外のひとにとっては面白いと思います。ただゲイがそういう設定のドラマを観るとやはり不愉快に感じます。不愉快というのは言い過ぎなのかもしれません。違和感があるのです。ですから「レイスジョークという概念concept」を日本に導入しないとこういうことは続くのでしょうから、日本に導入し他方が良いのでしょう。

 

逆に種々マイノリティとともに暮らすなかでレイスジョークがないと大変な事態になります。

 

そうでしょ。