フランクル 夜と霧 の話
フランクルは心理学者だったのかな。
「夜と霧」という日本語のタイトルにもんだいがあるというひともいます。
「夜と霧」はナチツはこんなに残虐だったという話ではまったくありません。
フランクルは心理学者ですから強制収容所いる仲間の心理をかんがえていて、そこを問題にした話です。
同じ強制収容所にいるひとで、偉そうにするひともいたようです。
あるいはちょっとした贅沢、それはちょっと多く食べるであるとか、ちょっと酒を飲むような選択をしたひともいたようです。
おなかは常に減っていますし、そういう気持ちがフランクルにはわかるのですが、それをやってしまうと死んでいまうのです。
でも一方にはそういう選択をしないで、フランクルもそうですが、生き延びるひともいます。
フランクルは「こういう違いはなんなんだろう」と考えています。
(こんなマトメをあなたは信じてはいけません。これは私にはそう思えたということだけですから。でも私にはそう思えました)
この文章を読んでいるあなたはもしかしたら切羽詰まっているのかもしれません。
でもあるひとは死を選び、あるひとは生き延びます。
そこにはなんらかの「違い」があると私は信じています。
フランクルの、一つの答えは「意味」です。
「苦しみに意味を感じたひとは生き延びる」と書いていました。
あなたがもし、「意味」を感じないのであれば、「物語」を感じてみたらいかがでしょうか。
前にも書いたのですが、安っぽい物語でまったく構いません。
物語は意味を感じる上でとても重要です。
「この苦しみの果てになにかあるような気がする」というのは「物語」ですよね。
その「物語」を感じることができれば、あなたは生き延びます。
私はそうだと信じています。