これは私の妄想です 「右翼」、「ファシズム」
私の世代までは、こういう年齢のひとは、こういう風にするものといった「振る舞いかた」が決まっていたところがあります。
若い世代にはわからないと思うのですが、私の世代や上の世代が「岩波文庫」っていうでしょ。
「文庫本」はもともと「重要で、評価もほぼ確定している本を若くてお金のないひとにも読んでもらおう」という理由で存在します。
私も「これって古典だよね。でも読んでないよね」と思うと岩波文庫であさったりして、岩波文庫がおいてない本屋さんに内心ダメ出しをしたりします。
昔の高校生はなんだか「岩波文庫を読む」のが普通でした。
読んだってわからないものがほとんどです。
でも「高校生はそういうものだから」と信じていて、岩波文庫を読んでいたのです。
そういうことをしなさいということではありません。
昔はそういうことがあったというだけのことです。
私は大学の哲学科にすすみ、退学しました。
カントとヘーゲルは当時二大巨頭でした。
しかし読んでもさっぱりわかりません。
でも一応は読むのです。
なんかそういう「ふるまい」が普通でした。
カントもヘーゲルも当時まったくわかりません。
でも当時の私はカントが嫌いでした。
まったくわかってないんですよ。
ヘーゲルは好きでした。
やっぱりまったくわかっていないのに。
理由があるのです。
私にとってカントは「いかめしいオジサン」のように「感じられる」のです。
でもヘーゲルは「包み込んでくれるやさしくて、懐の深いオジイサン」だったのです。
さっぱり、本当になにが書いてあるのか私にはわかっていないのですが。
今はカントが嫌いで、ヘーゲルが好きだとかはありません。
ただそういう経験があるのですよ。
そして、その経験に基づて私は妄想しているのです。
「右翼とかファシズムにはやさしくて懐の深いおじいさんに包み込まれたい」という欲望が潜んでいるのではないかと。