「芸」っていうどういう意味だったっけと思いました。
ここは「新明解」さんに聞こうと思って「新明解国語辞典第二版」をめくりました。
著名な学者さんたちの名前がならんでいる辞書なのですが、どう考えても「新明解」さんは見坊豪紀先生が好き放題しているとしか私には思えないのですが。
見坊(けんぼう)先生が好き勝手とは言っても「国語辞典」ですから、異様な努力があります。
そうは言っても、なんていうんですか、「ちょっと」という「国語辞典」なので私は長年「新明解」さんなのです。
新明解国語辞典第二版の語釈は「人前で見せ、それによって生計を助ける特殊な技術」とあります。
私は「やっぱり新明解さんだけはまずいか」と思って、学研の「現代国語辞典」ももっているので、こっちの語釈はどうだろうと思ってみるのです。
こちらは金田一秀穂先生がそうとう頑張っていると思うのですが。
「1、習って身につける技。特に役者の演技や技能 2見世物で動物が見せる技」
とあります。
私が「芸」という言葉にこだわりみたいなものがあるのは元をただせば有吉佐和子さんが「芸者の小説」を書いているからです。
これは橋本治さんの本の影響を異常にうけた見解なのですが、有吉さんは「概念concept」としての「芸者」を提案しているとこがあったようなのです。
身を売るのは「遊女」です。
しかし「芸者」は「芸」を売るという「概念concept」が有吉佐和子さんにあったのだろうという話です。
多くのひとの「ひとの中見や発言内容」に私はそこまで興味がありません。
ただ切り口とかニュアンスに目がいきます。
ワザっていうか。
私はさっぱり興味がなくて、しかも尊敬とかまったくないので呼びつけですが、ナンシー関にも、そういう「芸」があったと思うのです。
あなたは自分は「芸」とは関係ないとか思ったでしょ。
でも同じことを言うにしても、切り口であるとかニュアンスが違うと激怒を誘う場合からほめられる場合まであるので、「芸」は誰にも必要です。
「本音主義」みたいなものには「芸がない」でしょ。
「言えばいい」みたいなところが「本音主義」にはあるし、そこが私としては最高に気に食わないのです。