1960年代生まれのひとが結構聞いていただろうラジオのわくがありました。
確かナイターがないシーズンの夜の8時から9時までのTBSラジオです。
落語の曜日も、永六輔さんの曜日もあって独特でした。
そのわくで淀川長治先生の曜日がありました。
金田一耕助シリーズは市川崑監督、石坂浩二さん主演のミステリーのシリーズです。
ツタヤにあるはずです。
「犬神家の一族」が一作目なのですが、この映画に関してだったと思います。
淀川先生の言及があったのです。
タイトルロールに関してです。
出演者やスタッフの名前を紹介するのがタイトルロールですよね。
普通に、普通はします。
横書きなら横書きですし、縦書きなら縦書きです。
そうでしょ。
この映画のタイトルのロールが途中までまっすぐなのですが、途中で曲がるのです。
ちょっと説明が難しいのですが、途中までタテに書いておいて、入りきれないのでヨコに曲げているのです。
そこを淀川先生がつくのです。
「あれは市川崑が照れている」のだと。
すごいでしょ。
この指摘。
私の中学時代の恩師が異常な映画好きで、このシリーズに関して厳しいことを昔言っていました。
「金田一耕助シリーズって加藤武と坂口良子でもっているよね」と。
S先生とおっしゃるのですが。
厳しいでしょ。
私は絵画をならっていた時期があって、絵の先生が確か、こういう風に描くといいですよという説明をしていました。
「絵画は主役と脇役と背景だと思って描くといいですよ」と。
この映画シリーズの主役は誰なのでしょうか。
石坂浩二さんが演じる金田一耕助は、事件の解決をするひとではありますが、物語、この場合は犯罪ですが、の構成要素ではありえません。
その物語を解読し、解き明かすひとだからです。
物語はそうとうドロドロしています。
普通はそのドロドロが主役ですよね。
でも市川崑監督の中では違っていたと私は思うのです。
主役を笑いを取る、加藤武さんと坂口良子さんで、あれは実は「喜劇」というより、伊市川崑監督が「お笑い」をやりたかったのだと考えています。
背景が、本来の物語である犯罪だと思うのです。
この私の読解があたっているかどうは別問題です。
私が今書いたようなことを思うためには「素養」が必要でした。
淀川先生の指摘、S先生の指摘、絵の先生の説明。
それらなしにはこの読解は不可能だったのです。
当たっているかどうか別問題です。
私は「素養の重要性」を説きたかったのです。