「哲学」ってあなたには「遠い存在」なのかもしれません。
ほとんどの人はそうなのでしょう。
ただ違うひともいます。
ネット上でちょっとからんだだけなのですが、ある人が(おしゃなな苗字の方でやっぱり素敵なのですが)「哲学書を小説のように読むんですよね」と言っていました。
そういう人が一部いるのです。
ただ、とても有名な哲学者でもそうとうバカなことを書いていたります。
それが今の日本には必要性があると私が考えていることの理由なのか結果なのか、そういう何かです。
こういう流れで名前を出すのはあまりにも失礼なのですが、「ソクラテス」とは私はまったく気があいませんでした。
若き日の私からすれば「このひとはずっとああだ、こうだいっているし、それはそうなんだけれども、おっしゃっていることはその通りなのでしょうが、そこまでああだ、こうだいわなくても良い気がします」ということです。
「ソクラテス」は(というか著者のプラトンはというべきでしょう)いわば「言語化」であるとか「説明」であるとか「解説」であるとか、そしてそのための「論理構成」が素晴らしいのですが、それを読む、当時の若くてバカな私にすれば、「そこまでいちいち言葉にして言う必要性ってあるんですか」としか思えないひとなのです。
「ソクラテスの弁明」のアマゾンのリンクを張っておきます。
ただ年を取って再読したら、ソクラテスってとても「簡単」で「シンプル」なことしかいっていなかったんだと気がついてハッとしたのも事実です。
若くてバカな私が「このひとは気があう」と思ったのはデカルトです。
「方法序説」で有名ですね。
やっぱりアマゾンのリンクを張っておきます。
- 作者: デカルト,Ren´e Descartes,谷川多佳子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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これは悪口でもなんでもないのですが、「方法序説」でデカルトが言っていることはそうとうバカです。
理由があります。
それはデカルトが「ゼロベースで考えているから」です。
「既成の何かを否定するというよりも、新たに何か新しくて素晴らしいものをつくるために思索を重ねている」本が「方法序説」だからです。
今の日本に必要なことは同じことです。
「ゼロベースで考える」、「既成の何かを否定するというよりも、新たに何か新しくて素晴らしいものをつくるための思索」です。
結果いっている内容はそうとう「それはどうなんでしょうね」という内容になってしまいます。
このひとはなんか厳密にやりすぎだからついていけないと思ったのがヴィトゲンシュタインです。生前に世に出た本はこの一冊だけなのだそうです。「論理的哲学論考」です。アマゾンのリンクを張っておきます。
- 作者: ウィトゲンシュタイン,野矢茂樹
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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この本が謎の本といえば謎の本で、箇条書きみたいになっているのです。これはヴィトゲンシュタインが「思いついた言葉を書いた」わけではなくて、何年も書けて考えて、うまくまとまらないので「箇条書き」なのでしょう。私はヴィトゲンシュタインは緻密すぎて気があいません。でも「箇条書き」な訳ですから。気楽な気分で読めばいいとも思います。ヴィトゲンシュタインはマジメに真剣に思索や懐疑を重ねた結果の「箇条書き」ですし、そこに敬意はもって欲しいとは思います。この「箇条書き」の中の一つを覚えてどこかでいうようなことは控えてほしいのです。そういうことをすればオシャレなのですが、そういうことをするのは俗物(スノッブ)ですからみっともないのです。
同時代のひとなのでしょう。バートランド・ラッセルの「哲学入門」という本があります。日本語タイトルが「哲学入門」なので、「哲学の入門」にはピッタリです。ただ現代はThe Problems of Philosophy(哲学の諸問題)です。ラッセルはやはり緻密なのですが、まだ私にもついていける程度の緻密さです。「哲学とかなあ」と思っている方はヴィトゲンシュタインかバートランド・ラッセルがいいのかもしれません。
- 作者: バートランドラッセル,Bertrand Russell,高村夏輝
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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結構キンドルで無料で読める短い仕事があるので、「そういうことにお金を使いたくない」というひとはキンドルで短い文章を読むことをお勧めします。和辻哲郎とかいいです。若いひとにお勧めするのは「自己の肯定と否定と」です。ここで和辻哲郎が書いている内容を経験している若い方はそうとういます。
もっと現代に近いひとなら、他界されたのですが、池田晶子さんの仕事が良いです。この文章を書いているときは受験シーズンです。春に「高校に受かった」とか「高校に行かないで仕事をする」ようなひとにはこの本をお勧めします。「14歳からの哲学 考えるための教科書」です。
どうでもいい話なのですが、池田晶子さんは元女性誌のモデルをやられていたほどおキレイな方でした、ヴィトゲンシュタインはかっこ良いのです。「美人」とか「かっこ良い男」がすることと私のように「冴えないヤツ」がすることってなんか違うみたいです。
「見た目なんて」というのはごもっともなのですが、そういうことはあると思うのです。詩人がそうです。しょせん写真で見ただけなのですが、
中原中也の存在は知らなくても、彼の言葉をどこか覚えているひとが多数いると思うのです。「汚れちまった悲しみに」と書いたひとです。中也の顔ってキレイでしょ。それが原因なのか結果なのかは不明なのですが、「顔立ちがキレイ」な哲学者や詩人が結構います。あのひとの謎なのですが、三島由紀夫もなんか「顔立ちがキレイ」なひとです。
もちろん体も鍛えていたのですが、三島由紀夫の「顔立ちがキレイ」です。
無料本のリンクもはりましたが、芥川龍之介の「顔立ちもキレイ」なんです。そういうことってあります。仕事を普通にしている仲間同士でも「顔立ちがキレイ」な人の仕事に対する姿勢みたいなものと私みたいにそうじゃないひとの仕事に対する姿勢みたいなものってどこか違うと思うんです。あなたが学生だとしてもそういうことはありますよね。「彼はかっこ良いから勉強とかスポーツとかできるのは当然だよね」みたいな感じがあると思うのです。そういう人たちは何らかの「結果」として「顔立ちがキレイ」なのか、もともと「顔立ちがキレイ」だからできるのかは私には不明なのですが。そういうことは現実にいくらでもあります。
話を戻すのですが。
「のっかる」ってある訳です。
私もします。
一面識もない方でも、遠い国の方でも、千年まえの人でも、「この人の考えていることはこうだ」と思う事はあります。
そして「その続きを考えてみようかな」試みが私のいう「のっかる」という事です。
哲学は違います。哲学はゼロベースの学問なので、共感共鳴するかどうかが問題です。あるいは「自分にはうまくいえないことをこのひとの語り口ならいえるな」という意味で読むものです。
これを読む必要はないのですが昔「ソフィーの世界」という本が売れました。途中まで読んで私は挫折しました。一応アマゾンのリンクを張っておきます。
- 作者: ヨースタインゴルデル,Jostein Gaarder,池田香代子
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 1995/06/01
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この本が難しいから私は、この本を読了できなかったのではありません。もっと簡単な理由です。「つまらなかった」のです。
「哲学」って「考えること」(中島義道さん定義では「疑うこと」)で、それをするのは私(でありあなた)なのです。
「哲学書」なら哲学者が考えた記録なので「おもしろい」のです。でもソフィーの世界は「教科書」なのです。いろんな哲学者の思想をまとめてならべてある本です。
そういうのは本当につまらないのです。
もう一冊紹介しておきます。中島義道さんの「哲学の教科書」です。
中島義道さん自身が「このタイトルで本を出すなんて」と書いています。「哲学書」は面白いです。でも「哲学の教科書」は(この本はおもしろいのですが)つまらないのです。
私もそうとう「のっかって」います。そういうことができる学問分野もあります。私(勝手にそうさせてもらったのですが)に師匠は「こういうことを考えたのか、(あるいは)したのか、じゃあその続きをしようかな」ということです。
「のっかる」ことが出来るくらいにわかっていることは大前提です。
そして「自分が結構誤解しているであろうこと」がわかっているので、「師匠に申し訳ない」とも思います。
ただ私も結構「のっかる」方が良い気がすると思うこともあるので、「のっかる」のです。
それも大事です。
ただ「ゼロベースで考える」つまり何にもないところから考えるということも「大事」です。
うまくいっている企業家の方も「何にもないところから結構初めています」。
「ゼロベースでしない」とああいうことにしかならないという話題が二つありました。
内容は私には不明ですが、「電通」の問題と「日本レコード大賞」の問題です。
「電通」も「日本レコード大賞」も、ともに「すでにある素晴らしいもの」です。
そこで「頑張ろう」と思うと、事件の詳細は私にはわかりませんが、ああいうことにしかならないということだと私は考えています。
電通はもちろん広告代理店でしかも力があります。
日本でNo.1です。
ちょっとウィキをコピペします。
1901年(明治34年)、光永星郎によって設立された「日本広告」を前身とする。1907年(明治40年)、やはり光永によって設立されたニュース通信社「日本電報通信社」と合併。1936年(昭和11年)、国策によりニュース通信部門を同盟通信社に譲渡し、広告代理店専業となる。1947年(昭和22年)に連合国軍最高司令官総司令部により公職追放された上田碩三の後任として吉田秀雄が第4代社長に就任し、広告取引システムの近代化に努めた。
当時「広告」など「そんなことに何の意味もないだろう、何をしたいんだろう」レベルのことでしかなかったと私は想像します。
「ニュース通信社」にしても、世間では意味はほぼゼロというより「バカげている」ということでしかなかったと思うのです。
そこから始めた光永星郎が大成功をおさめたのです。
結果今の電通があります。
これは永六輔さんがラジオでおっしゃっていたのですが、日本レコード大賞もなんか唐突にはじまったらしく、水原弘さんの「黒い花びら」が第一回日本レコード大賞を受賞したのですが、世間ではまだ「日本レコード大賞」なるものが存在していることがひろく受け入れられていない状況だったので、しかも「黒い花びら」は大ヒットして有名だったので、「黒い花びらがもらった賞だ」というカタチで「日本レコード大賞」なるものがあるらしいというかたちで受け入れられたいったらしいのです。
今はともにスゴイです。
ただ「電通」にしても「日本レコード大賞」にしても、ひどい言い方をすれば最初はバカなことでしかなかったのです。
そこの「のっかる」ようなことを試みるとひどい目にあうということと、そういうことはしないで、「そんなことをするのはバカだよね」ということをした方がたいていに時代にうまくゆくということを言いたいのです。
ああいうことが起きている訳ですよ。
詳細は私には不明ですが。
ただおそらく何かの「問題」はあるのでしょう。
だから、「のっかる」ほうが一般的には「良い」と思われています。
それはたとえば「いい学校を出て、いい会社にはいる」ということです。
それは「のっかる」ことです。
「のっかる」ことでうまくいった時代もあります。
だけれども、それが(つまり「のっかる」ことが)うまくいかない時代に突入したという事をああいう事件は物語っていると私は考えているのですよ。
どうも今はそういう「時代」のようです。
そういえば堀江貴文さんの著作に「ゼロ」というものがありました。
アマゾンのリンクを張っておきます。
この本もおもしろかったのですが、堀江貴文さんがこういうタイトルの本を書いたということは、あの方も私と同じ時代観測をしているということなのではないでしょうか。
私もゼロからしたのです。
「のっかる」こともしましたが。
堀江貴文さんの「ゼロ」のサブタイトルと同じことを長年して、今にいたっています。
「なんにもない自分に小さなイチを足してゆく」ことの積み重ねだったのですよ、とても長い間。
あなたもそうなのかもしれませんが長年私は思っていました。
「自分に何かあれば良いなあ。何か自分に良いものがあればなあ。でもないよね。何にも自分にはないよね。でも何かありさえすれば何とかなるのに。でも自分には何にもないから」と。
どうも「のっかる」ことが悪い結果につながることが多い時代に入ったようです。
日本だけのことではないと私はみています。