世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

「ら抜き言葉」について九州の田舎者が物申す

まだお名前を覚えていますが高校時代に担任までお世話になった恩師に高橋先生という方がいました。

 

私は高橋先生に評価されていました。たぶんキッカケは古語を現代語訳した時に私の現代語訳がキッカケだったと私は考えています。

 

古語で「思わるる」というのを私は現代語訳する時に何故か「思われる」と訳すのがとてもイヤだったので「思うことができる」と現代語訳していたのです。

 

私には(たぶん)もってうまれた障害があって私は日本語のネイティブスピーカーなのですが日本語の文法や日本語単語の語釈がわかっていないとどこかうまく日本語を使えない小学生だったのです。

 

そういう私は熊本の方言の日本語文法を小学生の時から解析していました。

 

そしてたとえば「アクセント」がそもそも違うともどこかわかっていたのです。日本語のアクセントは基本イントネーションアクセント(音程の上下によるアクセント)なのですが熊本のアクセントはストレス(強弱)アクセントなんだとわかっていた小学生だったようです。

 

さらに「この活用は古語の活用だよね」とかもわかっていたようです。

 

発音しやすいように発音を変化されることを「音便変化」というのですが。「お母さん」を「おっかさん」というのがたとえば音便変化です。

 

熊本のアクセントがストレスアクセントなのでイントネーションでは「平板化」していて音程の高い低いはほぼありません。そして強弱のアクセントをつけるのです。

 

そうすると「食パン」という単語は発音しづらいのです。

 

そして音便変化して「しょっぱん」と発音するひとも多数います。

 

このケースでは「しょ」にアクセントがあります。「しょ」を強く発音すると「しょく」とは言いづらいので「しょっぱん」になるのです。

 

敬語表現も(この言い方に今はほぼ敬意はないのですが)「行かる」「見らる」「さる」という表現があります。

 

これよりも一段高い敬意をしめす場合は「行かす」「見らす」「さす」といいます。

 

この二つは古語です。「る」「す」という尊敬の助動詞が今も熊本では使われているのです。

 

「行かるる」「見らるる」「さるる」というと可能の意味になるのですがこれは可能の助動詞「るる」が残っているのです。

 

福岡方面で「知っとお」というのは「知っとる」が音便変化しています。活用が「知ってる」ではないのです。「知っとる」なのです。

 

そしてストレス(強弱アクセント)で「し」を強く発音するので「知っとる」と発音しづらいので「知っとお」になります。

 

熊本では今も(おそらく古語なのでしょう)「考えがられる」とは言わないのです。「考えらるる」と言います。「見られる」ではなくて「見らるる」なのです。音便変化して「考えらるっ」とか「考えらるう」とか「見らるっ」とか「見らるう」と日常的には使うのですが。

 

こういう語感で育っているひとにとっては「思わるる」や「見らるる」が基調なので「かんがえられる」や「見られる」が生理的に受けつけないのです。

 

ただ「思われる」や「見られる」という言い方が現代日本では支配的です。そうなると「ら抜き言葉」の「考えれる」や「見れる」の方が好ましい響きなのです。

 

まとめますが現代日本語に「見らるる」と「見られる」がもともと混在していたことが「ら抜き言葉」を発生させたはずです。

 

私は今でもどうしても「見られる」であるとか「考えられる」というのは生理的にうけつけません。

 

「見れる」や「考えれる」のような「ら抜き言葉」の方がまだましなのです。

 

熊本出身の国文学者は何十年も何をしてきたのでしょうか。

 

自慢話ですが私は高校生の時にはこれくらいことはわかっていたのですが(ということは35年くらい前には私には普通のことでしかなかったのですが)。

 

小沢一郎さんには自覚があるはずです。

小沢一郎さんは極めて優秀な政治家です。

 

でも本人が一番わかっているはずです。小沢さんは誰か組むことがとても多い人ですから。

 

面倒なのでググりませんが小沢一郎さんがキングメーカーになったことがあったのです。相手は先輩政治家の皆さんでした。そういう先輩政治家相手に面談をして(しかもその様子はテレビで中継されていた)のです。そういうことは配慮してテレビ中継させないのが筋なのですがその様子はテレビ中継されていました。

 

そういうことを「普通にやってしまうところがおそらく小沢さんの一番の欠点」です。

 

事実小沢さんは誰かと組むことがとても多いのです。

 

小沢さんほどの政治家であれば自分が総理になるのが本来のあり方なのですがどこかそれを避けていらっしゃいます。

 

「欠落」というと失礼なのですが小沢さん自身「自分は総理の器じゃない」という感覚はお持ちだと思うのです。

 

「黒幕の方が自分には向いているんだ」という感覚があるのでしょう。

 

私はあのひとも「良い人」だとも「とても勉強されている人」だとも思っているので応援していますが山本太郎さんと今は組んでいます。

 

小沢さん自身に「自分には欠落がある」という感覚があるので「誰かと組む」のだと思うのです。

 

小沢さんは確実に優秀な政治家です。

 

でも失礼なのですがどこかに欠落があるとしか思えないのです。

タバコの害が「科学的に立証されたのかどうか実はまだ不明」なのです。 コペル君にまなべ

よくわからないサイトの記事は引用したくなかったので日本医師会の禁煙の勧めのウェブをコピペします。

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受動喫煙のリスク
誰かのたばこの煙を吸うだけで
喫煙者と同様のリスクがあります
他人のたばこの煙を吸うだけで、
喫煙者と同じ病気のリスクがある
たばこの煙は70種類以上の
発がん性物質を含む
分煙してもたばこの臭いを
嗅いだだけで健康被害を受ける
喫煙者が吸い込む煙と同じくらい
周囲の人が吸い込む煙は有害です
たばこの煙には三大有害物質であるニコチン、タール、一酸化炭素の他にも70種類以上の発がん性物質が含まれています。普段たばこを吸わない人は、たばこの煙に対する感受性が高く、他人の煙を吸うと、少しの量でも大きな健康被害を受けるという報告があります4)。また、2016年8月には国立がん研究センターより、受動喫煙による日本人の肺がんリスクは約1.3倍になることが発表されるなど、受動喫煙のリスクは科学的にも証明されています5)。
4)Barnoya J, et al. Circulation. 2005; 111: 2684-98. 5)Hori M, et al. Jpn J Clin Oncol. 2016; 46: 942-51.
たばこの三大有害物質
ニコチン
依存症にさせる作用があります。血管を収縮させ、血液の流れを悪くする作用もあり、動脈硬化を促進させます。
タール
たばこのヤニの成分。発がん性物質や発がんを促進する物質が数十種類以上含まれています。
一酸化炭素
酸素を運ぶ機能を阻害し、酸素不足を引き起こします。動脈硬化を促進させます。
「たばこ臭がする」と感じたら、
もう被害にあっています
飲食店などでは、分煙にするためガラスドアで仕切って密閉した喫煙室を設け、出入口にエアカーテンを設置している店がありますが、これでも煙を100%遮断することはできません6)。人が出入りする際には必ず、体にたばこの煙がまとわりついて移動し、有害物質を拡散させるからです。大げさではなく、服や髪の毛、カーテン、家具、壁などからたばこ臭を感じた時には、有害物質を体内に吸い込み、受動喫煙の被害にあっているのです。海外では受動喫煙防止条例の施行によって急性心筋梗塞の入院患者が減少したという事例も報告されています。
6)厚生労働省たばこ規制枠組条約第2回締約国会議の概要
受動喫煙防止の取り組みにより、
急性心筋梗塞の入院患者が減った事例

米国モンタナ州ヘレナ市では、受動喫煙防止条例を施行後6ヵ月間で急性心筋梗塞の入院患者が40%減少。その後、条例が廃止されると入院患者が増大した。
Sargent RP, et al. BMJ. 2004; 328: 977-80. より作成
加熱式電子たばこなら、害は少ない?
最近、煙が出ない新しいタイプのたばこが登場しています。その一つが加熱式電子たばこです。たばこの葉を電気で加熱して蒸気を発生させ、ニコチンを吸い込むものですが、日本禁煙学会によると、紙巻きたばこと同様に依存性があり、発がん性物質を含む有害物質を含んでいることが指摘されています7)。健康被害の評価もこれからであり、安全性が証明されたものではないことを知っておきましょう。
7)日本禁煙学会: いわゆる「新しいタバコ」に対する日本禁煙学会の見解. 2016
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理学的に実証されているのは「動脈硬化を促進する」ことだけです。ほかの害は理学的にはまだ実証されていません。

 

代表が「ガン」です。以下は国立ガン研究センターのウェブのコピペです。

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細胞ががん化する仕組み
更新日:2016年09月14日 [ 更新履歴 ]
1.がん細胞と正常細胞の違い

人間の体は細胞からできています。がんは、普通の細胞から発生した異常な細胞のかたまりです。

正常な細胞は、体や周囲の状態に応じて、ふえたり、ふえることをやめたりします。例えば皮膚の細胞は、けがをすれば増殖して傷口をふさぎますが、傷が治れば増殖を停止します。一方、がん細胞は、体からの命令を無視してふえ続けます。勝手にふえるので、周囲の大切な組織が壊れたり、本来がんのかたまりがあるはずがない組織で増殖したりします。

がん細胞を実験動物に注射すると勝手に増殖を開始し、大きなかたまりをつくります。正常な細胞ではこのようなことはありません。

2.多段階発がん

がん細胞は、正常な細胞の遺伝子に2個から10個程度の傷がつくことにより、発生します。これらの遺伝子の傷は一度に誘発されるわけではなく、長い間に徐々に誘発されるということもわかっています。正常からがんに向かってだんだんと進むことから、「多段階発がん」といわれています。

傷がつく遺伝子の種類として、細胞を増殖させるアクセルの役割をする遺伝子が、必要ではないときにも踏まれたままになるような場合(がん遺伝子の活性化)と、細胞増殖を停止させるブレーキとなる遺伝子がかからなくなる場合(がん抑制遺伝子の不活化)があることもわかっています。

傷の種類として、DNAの暗号に異常が生じる突然変異と、暗号自体は変わらなくても使われ方が変わってしまう、エピジェネティック変異とがあることがわかってきています。

正常な細胞に決まった異常が起こると、その細胞は増殖します。そこに第二の異常が起こると、さらに早く増殖するようになります。この異常の積み重ねにより、がん細胞が完成すると考えられます。

3.がん遺伝子

ある遺伝子に傷がついたときに、細胞増殖のアクセルが踏まれたままの状態になる場合があることが知られています。このような遺伝子は、がん遺伝子と呼ばれています。多くの場合、がん遺伝子によってつくられるタンパク質は、正常細胞も増殖をコントロールしていますが、その働きが異常に強くなることにより、細胞増殖のアクセルが踏まれたままの状態になります。

例えば、「myc」と呼ばれるがん遺伝子の場合、1個の細胞あたりの遺伝子の数が増えることにより、「myc遺伝子」によりつくられるタンパク質が増えすぎて、際限ない細胞増殖を引き起こすことがわかっています。また、「ras」と呼ばれる一群のがん遺伝子は、特定の場所に傷がつくと働きが過剰な状態になり、やはり際限ない細胞増殖を引き起こすと考えられています。

このようにがん遺伝子の変化は、特定のタンパク質の働きを異常に強めることにより、がんにつながる増殖異常を引き起こします。したがって、そのタンパク質の作用をうまく抑えるような薬を見つければ、細胞ががん化することを防いだり、すでにできているがんの増殖を抑えたりすることができます。

4.がん抑制遺伝子

がん遺伝子が車のアクセルとすると、そのブレーキにあたる遺伝子が、がん抑制遺伝子です。がん抑制遺伝子は細胞の増殖を抑制したり、細胞のDNAに生じた傷を修復したり、細胞にアポトーシス(細胞死)を誘導したりする働きをします。DNAの傷が蓄積するとがん化に結びつくので、修復が必要です。異常細胞が無限に増殖しないように、異常を感知して、その細胞に細胞死を誘導することも必要です。このように、がん抑制遺伝子はブレーキの働きをしていると考えられます。

これまでの研究から、いくつかのがん抑制遺伝子が発見されましたが、代表的なものは「p53遺伝子」、「RB遺伝子」、「MLH1遺伝子」等が知られています。それぞれ細胞死の誘導、細胞増殖の抑制、DNAの修復に重要な働きを持つことがわかっています。

5.遺伝子突然変異

遺伝子の傷はDNAの傷を意味します。ヒトの細胞の中にはDNAが存在し、そこにわれわれの遺伝子が暗号として記録されています。遺伝子突然変異とは、この遺伝子の暗号に間違いが生じることを意味しています。タバコ、食物の焦げ、紫外線等、さまざまな外的要因(発がん要因)が遺伝子突然変異を引き起こすことがわかっています。

もう少し詳しく説明すると、DNAはG、A、T、Cの4種類の文字の組み合わせでできています。さまざまな発がん要因により、これらの文字に間違いが生じると突然変異が起こります。がん遺伝子やがん抑制遺伝子を記録したDNAに間違いが生じた場合、がん遺伝子の活性化やがん抑制遺伝子の不活性化が起こります。

図6では、一塩基置換型、一塩基欠失型、染色体欠失による遺伝子突然変異の例を示します。通常DNAの暗号は、G、A、T、Cの中の3文字の組み合わせで決まります。したがって、赤字で示した「C」という文字が、ほかの文字に置き換わったり、失われたりした場合、まったく意味不明な暗号が伝達されることになります。また、染色体欠失がおきた場合には、暗号自体がなくなってしまうことになります。

6.遺伝子のエピジェネティックな変異

遺伝子の傷は、その突然変異によるものばかりであると思われてきました。しかし、遺伝子突然変異以外にも、細胞が分裂しても薄まることなく、新しくできた細胞に伝達される異常があることがわかってきました。それがエピジェネティックな変異で、具体的には、「DNAメチル化」と「ヒストン修飾」の変化です。特に、DNAメチル化の変化はヒトがんの多くで認められ、多段階発がんのステップとして関与している場合もあることが知られています。

遺伝子の暗号のもとであるG、A、T、Cの4つの文字は、細胞が分裂するときには、その通りに新しい細胞に受け継がれます。DNAメチル化(図7のうち、ピンク色の丸印)も、塩基配列と同じように、もとの通りに受け継がれます。

7.遺伝子異常の診断

遺伝子の異常は、正常細胞をがん細胞へと変化させる大変都合の悪い現象ですが、別の見方をすれば、正常細胞とがん細胞を見分けるための決定的な証拠にもなります。したがって、遺伝子異常を応用して、がんの診断や治療ができないかという研究が進んでいます。

例えば大腸がんの早期発見のために、便中に存在する微量のがん細胞の異常DNAや、血中を流れている微量のがん細胞の異常DNAを検出する試みです。がん細胞である決定的証拠の遺伝子突然変異やエピジェネティックな変異を検出することで、がん細胞を見つけようとするものです。
8.遺伝子異常の治療への応用

がん細胞に生じた遺伝子異常によってがん細胞の表面にでき上がる異常タンパク質を標的とした治療法の開発も進んでいます。異常タンパク質のみを認識したり抑制したりすることで、正常細胞に影響を及ぼさず、がん細胞だけを攻撃できる薬(分子標的薬)の開発が行われています。

例えば、イマチニブ(グリベック)という薬は、がん細胞に生じた異常タンパク質のみを抑制することで、白血病を治療することができます(図8)。また、トラスツズマブ(ハーセプチン)は、がん細胞の表面にできる異常タンパク質であるHER2受容体のみを阻害することで、がん細胞の増殖を抑制します。そのため、HER2受容体が過剰に発現するタイプの乳がんにおいて治療に使われます。

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国立ガン研究所の研究によればガンは遺伝子の問題なのです。

 

事実統計学上で「喫煙」「受動喫煙」と「ガンの発生率の上昇」は認められています。

 

発がん性物質」の代表の一つはタバコです。ですが一つは「統計学上有意な結果が出たこと」と学説上の可能性を示すだけにとどまっています。

 

理系の学者は「ネイチャー」に自分の論文が掲載されると喜びますが世界中でいろいろな研究が行われていてその研究に意味や価値があるということを意味することが「ネイチャー」に掲載されることだからです。つまり世界各地にいろいろな(その研究に意味や価値や信憑性が)あるのかどうか不明な研究が山のように行われているということです。

 

私はいわゆる「嫌煙運動が嫌い」です。

 

私はタバコを吸うのですが「たばこの匂い」にはとても大きな問題があるとは思っています。私自身喫煙者にもかからわず「たばこの匂い」がとてもイヤなことがありますから。

 

私が「嫌煙運動が嫌いな理由」は「あまりにも正しい運動」だからです。

 

漫画 君たちはどう生きるか

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君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作)

君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作)

 

この小説と漫画は主人公は「コペル君」というのです。コペルニクスからきています。

 

コペルニクスは天動説を否定して地動説を唱えたひとです。

 

天動説的な発想では「自分は絶対で自分の周囲にいろいろなものが動いている」ということになりますが地動説的な発想では「自分も含めて多くのものが動いている」ということになるのです。

 

嫌煙運動家」の発想は「天動説的発想」です。

 

これはタバコの害を否定するものではありません。彼らの発想を非難しているのです。

 

「自分たちは絶対だ!お前らは俺たちに従え!」と要求しているのです。

 

コペル君とは真逆です。

 

違う言い方をしましょう。「正義」という存在は誰にとってもとてもやっかいなものです。

 

かつては「共産主義」も「ナチズム」も「ファシズム」も「正義」でした。

 

これもタバコの害を否定するものではありません。可能性の問題です。

 

私はこういう言い方をします「正義っていうのは安酒だから悪酔いするから気をつけようね」。

 

私が嫌煙運動が嫌いなのが彼らはコペル君とは真逆の傲慢な発想をしていますし「正義という安酒によっぱらっているみっともない酔漢だから」なのです。

 

街にいますよね。みっともないよっぱらい連中。ああいう嫌煙運動家はああいう見苦しいよっぱらいなのです。

 

しかも本当によっぱらいで筋道が立った議論ができないほどに「正義という安酒に飲まれている見苦しい連中」であるという理由で私が彼らが大嫌いなのです。

私は結構「おとな」みたいですよ

私は今(2017年)に53歳なのですが「結構おとなみたい」です。

 

いうと自慢話になるのですがたいていことには対応できるようになっているのです。今も私は問題を抱えていますが(たぶんではあるのですが)なんとかなるのでしょう。

 

ただそうなるためにはやはり実体験として一定程度の経験も必要だったのだろうし自分の中では「思い決断」を下す経験も必要だったのでしょうし「知識」も必要だったと考えています。

 

あれは40歳くらいの時なのですが「二日何も食べてない」という友達の世話をしたことがあります。私は「このひとの胃は空っぽだからいきなり重いものを食べると戻すかもしれない」と思ってそれなりの対応をしました。

 

とか彼にはずいぶんあっていませんが彼のお父さんが失敗して彼に家になくなるということが起きたので他に方法も思いつかなかったのでしばらく居候をしていてもらったこともあります。

 

彼らの状況はともにヒドイ状況だったのかもしれません。でもそもそも誰が不幸で誰がしあわせだと誰かに決める権利などないとも私は思うのです。

 

あるいは私の母が他界した次の年に年賀状をもらったこともあります。私はただ寒中見舞いを返しました。「この方はご存知なかったんだ」と思ったからです。

 

あるいは自分の個人的な話をしてもかまわないような状況の時に私が自分の話を始めると相手のひとが「わかる」といって相手の話を始めたので黙って聞いていたこともあります。

 

別のひとは「自分の自慢話」ばかりをするひとで私に話をするスキがなかったので黙ってそのひとの話をその場では聞いて「こういうひととはつきあえないな」と思ってそういう関係だと思っていたのですが別の場所でそのひとにあったらそのひとが懐かしそうに話しかけてきたので私はもうそのひとはひとの話は聞かないひとだとわかっていたのですが一応挨拶だけはしておきました。

 

こういうことを書くと「ストレスたまるでしょう」とあなたは思ったかもしれません。ストレスは事実長年溜まっています。

 

だけれどもいろんなことがあった(イヤなことも含めて)しそういう時にそれなりの対応ってどういうものなんだろうと考えながら対応して来た歴史が私を「おとな」にしてくれたようです。

 

ただイヤな言い方になりますがもう「面倒くさいことはたくさんです」。そういうことはもう十分してきたと思っていますし。

 

これからは楽しく暮らしていきますしつきあう相手も選ばせてもらいます。

 

 

さだまさしさんのポップミュージックにおける位置

ちょっとウィキってイヤな思いをしたのですが今だにどの作曲家がWW2に協力的だったとかいう記述があったのです。

 

(そうとうあいまいな記憶ですが)服部克久さんが「オヤジ(服部良一さん)の作風に軍歌があってなかったといっていた」とおっしゃっています。

 

作曲家は芸術家なのでかならずしも(今の日本でもそうですが)その時の国策に賛成とか反対とかそういうことで仕事をするものではないはずです。

 

今の日本は「クールジャパン」を押していて「クールジャパン」の代表はアニメなのでしょうがだからといって日本のアニメ監督やアニメ業界が今の日本の国策に賛成しているとはいえません。

 

だからたとえば「軍歌を作ったから戦争に協力的だった」などという発想はあまりにも愚かです。そういうことで芸術家を批判するようなことはもうやめていただきたいと私は思っています。

 

一般には「ジャズの服部良一演歌の古賀政男」という言い方をしてこの二人はいわば日本のある時期のポップミュージックの二大巨頭ではあります。

 

私の世代のひとは嫌いな言葉であったのですがほかにいいようがなかったので「ニューミュージック」という言葉を使っていました。

 

「フォーク」でもなく「ロック」でもなく「歌謡曲」でもなく「演歌」でもないような音楽で今なら「Jポップ」「Jロック」を呼ぶのでしょうが当時は言いようがなかったのです。

 

「ニューミュージック」を始めたのはユーミンです。彼女の音楽はフォークでもありませんでしたしロックでもありませんでしたしだからといってアメリカンポップスでもありませんでしたし歌謡曲でもなかったのです。

 

ただ「ニューミュージック」という言葉はしばらくの間は使われることになりました。

 

やはり「ニューミュージックなのだ」とされていたのが「さだまさし」さんなのです。

 

さださんもやはり「フォーク」でもなく「ロック」でもなく「アメリカンポップス」でもなく「歌謡曲」とも違っていたのです。

 

私はさだまさいしさんは山田耕作の系譜ではないかと考えています。

 

これはウィキからのコピペですが。

野薔薇(作詞:三木露風
唄(作詞:三木露風
歌曲集「AIYANの歌」(作詞:北原白秋) - 「NOSKAI」「かきつばた」「AIYANの歌」「曼珠沙華」「気まぐれ」の全5曲からなる。
からたちの花(作詞:北原白秋
蟹味噌(作詞:北原白秋
この道(作詞:北原白秋
かやの木山の(作詞:北原白秋
六騎(作詞:北原白秋
鐘が鳴ります(作詞:北原白秋
松島音頭(作詞:北原白秋
中国地方の子守謡(編曲)
ロシア人形の歌(全5曲、作詞:北原白秋
愛する人に(An die Geliebte、作詞:エドゥアルト・メーリケ)
漁師の娘(Das Fischermädchen、作詞:テオドール・フォンターネ)
紫(作詞:深尾須磨子)
童謡[編集]
赤とんぼ(作詞:三木露風
兎のダンス(作詞:野口雨情)
お山の大将(作詞:西條八十
七夕(作詞:川路柳虹
砂山(作詞:北原白秋
かえろかえろと(作詞:北原白秋
酢模の咲くころ(作詞:北原白秋
ペチカ(作詞:北原白秋
待ちぼうけ(作詞:北原白秋
あわて床屋(作詞:北原白秋

 

さださんの音楽は「童謡唱歌」の世界を引き継いでいるもので「抒情的」なのです。

 

余計な話ですが山口百恵さんにさださんは「秋桜(こすもす)」という曲を書いています。私が勝手に当時そう思っていただけなのですが百恵さんは「秋桜(こすもす)」あが当時気にいっていなかった気がします。

 

当時の百恵さんは谷村新司さんの影響があってシャンソンを聴いていたらしいのです。シャンソンが好きなひとたちに「シャンソンの汚さがいい」という人たちがいます。

 

秋桜(こすもす)は母と娘の物語なのですが抒情的で「キレイ」なのです。百恵さんは当然女性ですし「母と娘がこんなにキレイな訳がない」という不満を抱いていても不思議はないのです。さらにシャンソンも聴いていた訳ですし。

 

ただ長い年月を経て百恵さんは「やっぱり秋桜(こすもす)は良い歌だった」と思うようになったようです。

 

もちろん服部良一古賀政男もいい曲をたくさん作っていますが山田耕作もやはりいい歌をたくさん残しています。

 

さださんの日本のポップミュージックの世界での位置の不明確さはさださんが山田耕作のラインの音楽家だからなのだと私はずっと考えているのです。

日本本土のリズム 

私は貧しい家の育ちなので音楽教育を受けられませんでした。

 

コンピューターミュージックも好きなのですが昔はPCが高価だったのでそれもできずにいたのです。

 

ですが最近になってその方がよかったと思うようになりました。

 

というのは私には何でも音楽に聞こえるのです。さっき洗濯機を回していたのですが洗濯機の回る音を聞いて「これって何拍子かな」とか考えていたのです。

 

子供の頃から私には普通なのに世間の常識とされていることが間違っているとしか思えない子供だったのです。

 

たとえば日本本土は「前打ち(オンビート)」だというのが定説なのですが私はダンスミュージックに関して日本本土は「「前打ち(オンビート)と後打ち(オフビート)が混在している」のだとずっと考えているのです。

 

たしかソラリゼーションというのだと記憶していますがこれは「口三味線」です。

 

「チャンカ」が私は日本本土のダンスビートの基調だとずっと信じています。

 

「チャン」はオンビートです。「チャン、チャン、チャン、チャン」とオンビートです。でも「カ」はオフビートです。「(ん)カ、(ん)カ、(ん)カ、(ん)カ」とオフビートなのです。

 

「チャンカチャンカチャンカチャンカ」となると当然オンオフの両方を取るはずです。

 

あるいは3拍子です。

 

私はお念仏もお題目もやはり音楽にしか聞こえていなかったし今も音楽にしか聞こえないのです。

 

ウチは浄土真宗なのでお念仏なのですがお念仏には節回しがあってこれが3拍子なのです。わかりやい例が「ナン、マイ、ダー」です。「ナンマイダーナンマイダー」ということは3拍子です。

 

お題目も音楽的には3拍子です。「南無(1)妙(2)法(3)蓮(1)華(2)経(3)」を繰り返すのですから当然3拍子です。

 

お題目を早くいうのが私は昔から大好きでした。「南無妙法(123)蓮華経(123)」とこれは3連(つまり4分音符を三つに分けているもの)です。

 

私が音楽教育を受けて絶対音感でも身に着けて居たらとてつもない苦しみを味わっていたはずですし私は譜面を書くことも読むこともできませんがそういうことができていたら一日中頭の中が譜面だらけになってしまってやはりとても苦しかったはずです。

 

それに音楽教育を受けていなかったから概念はしらなかったのですがクラッシック音楽では近代音楽(ドュビッシーとかラベルとかムソルグスキーとかストラビンスキー)が子供のころから好きでした。

 

多分コード感(和音の感じ)が原因だったと考えています。

 

事昔の歌謡曲も好きだったのですが「なんか音の響きが物足りない」と思っていたのです。

 

モーツァルトが好きになったのは最近です。

 

ローコードといういう3つの音で構成されたコード(和音)があるのですが子供のころの私はローコードよりもテンションコードが好きだったようです。

 

あるいは「急に変わる音楽」が子供のころから好きだったのです。「雪の降る街を」という童謡は音楽も歌詞も両方子供のころから好きだったのです。

 

あるいは小学生の時にユーミンを聴いていて(その頃概念は知らないのですが)普通はポップミュージックはAのメロディからサビに行く前に「つなぎのメロディ」をいれるんだけれどもユーミンはAからサビにいきなり飛ぶなと思っていました。

 

これは「転調」です。

 

中村八大さんが私は好きで「八代さんは変な音をつかうから好きだ」と思っていたのですがこれは「半音ブルーノート」でした。

 

ジャズの響きがずっとわからなかったのですがテレビで大江千里さんが説明しているのを聴いて納得しました。

 

ジャズでは3つの和音の一番下の音をルート(根っこ)の音と呼ぶのですがルート(根っこ)の音を一オクターブ上げるらしいのです。

 

私は音楽教育を受けていませんから概念はしらないでしたのです。

 

でも子供のころからわかっていたのです。

死刑論議ってまだやってたんだ 「終身刑の導入と死刑廃止の議論はパックのはず」

死刑を存続するのか廃止するのかという議論をまだやっているようです。

 

私は「死刑廃止」と「終身刑導入」はパックで考えるのが筋だと考えています。

 

確か杉浦日名子さんがテレビで発言されていたのですが時代劇で「遠島3年の刑に処す」というは間違いなのだそうです。

 

というのは「遠島(つまり島流し)」は終身刑であったからです。

 

終身刑以外の「遠島(つまり島流し)」はなかったのだそうです。

 

ある場所でストーカーの果てに凶悪犯罪をおかして幸い被害者の命は無事だった事件があったのですがその犯罪者の法廷での様子をみると(すくなくとも私には)「コイツが反省することはない」としか思えませんでした。

 

もちろんそういう凶悪犯罪者であったとしても「反省して罪を悔いる」可能性は否定できません。

 

ただ「反省して本当に罪を悔いる」ことはあくまでも可能性としてしか存在しません。

 

私は今(2017年)に生きる日本人なのですが私の「感覚」では「死刑」よりも「終身刑」の方が重いとしか感じられないのです。

 

そういう日本語のいいまわしがあります。「いっそ一思いに」というやつです。

 

少なくとも現代日本を生きる私にはやはり「死刑」よりも「終身刑」が重いとしか感じられないのです。

 

私の議論のよりどころは不明なのですが多分「凶悪犯罪者が本当に反省して罪を悔いる可能性」が一つの論点になっているようです。

 

その可能性はゼロではありません。

 

でもさっき上げた凶悪犯罪の被害にあわれた女性は心底おびえておいででした。

 

一部マスコミが殺人事件の遺族の方から「死刑にしてほしい」というコメントを取ってくることに私は怒りを禁じえません。

 

お身内をなくされた直後のご遺族の方の心情がそんなに簡単なものであるはずがないからです。

 

もちろん「犯人を死刑にしてほしい」というお気持ちもあるでしょう。だけれども(それがどんな一言であったとしても)身内が殺された方が「一言」でお気持ちをおっしゃることはもとより不可能であるはずです。

 

こういうコメントを取ったマスコミはそういうコメントを取ったという責任があるのですからご遺族の方に10年20年いやもっと長く寄り添うべきでしょう。

 

そしてもう一つの論点は「冤罪」です。

 

警察関係者であれば「冤罪」の可能性は否定できないと感じていらっしゃるはずです。

 

「犯人の反省の可能性」と「冤罪の可能性」をかんがみるとやはり(すくなくとも私には終身刑の方が死刑よりも重いとか感じられませんが)「終身刑」の導入を進めるとともに「死刑」の廃止を進めるのが筋だとしか私には思えないのです。