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世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

経験上分かっていますが 「文句をいうひとはしないひと」

私は出来るひとではありません。でも「するひと」です。この文章を読んでいる人にも「するひと」がいますよね。苦しいでしょ。「しないひと」が多数います。経験上分かっていますが「しないひとは文句をいうひと」です。

 

こっちは「する」のです。彼らは「しない」で「文句を死ぬほど言う」のです。

 

不満があるのはわかります。でも私は長年「している」のです。「しないひと」から「死ぬほど文句を言われながら」です。

 

これが苦しいのです。

 

わかりはします。「するひと」は「文句をいう前に何かするひと」です。だから「文句をいう暇がありません」が。でも「文句を言うひと」は「文句を言ったこと」でひどく満足されているのです。結果「文句を言うだけで何もしなく」なります。

 

私は長年そういう「文句を死ぬほどいわれながらしてきた」です。私はほぼボッチでいるのはそういうことに疲れているからなのです。

 

あなたもそうでしょう。「文句をいうひとは何もしないで文句だけいってご満悦です」よね。私が「する」ことに不満はあるのでしょう。でもああいうひとは「しない」で「文句だけをいう」のでコッチはつらいのです。

 

「満足感」みたいなものなのでしょう。「文句を言うと満足できる」ような心理状態があるようです。

 

だから私みたいに「する」ひとが「しない」ひとから「死ぬほど文句をいわれながら」苦しんでいるのです。もうそういうはいらないと思っていますが。私は完璧に飽きていますし、そういうのに疲れました。もう「文句だけ言ってしないひと」とのお付き合いは遠慮します。もうそういうのはいいです。コッチもつらいし。

 

世間はすごいです 「業務放棄(給料ドロボー)」は普通ですから

私はろくなキャリアがありません。でもそれなりには働いてきました。「それなり程度」でしかありませんが。

 

どこかに「良い仕事」があって「ちゃんとしたひとがちゃんとした仕事をしている」と考えていたのです。

 

でも色々な所で見聞きする「仕事の話」を聴いて驚くことが多々あります。

 

ある職場で親子で働いているらしいのですが親子喧嘩してお母さんが帰るという話を(お子さんが社長なのですが)笑いながら話していました。そしてその職場の人のグチを私は聞いているのです。

 

その人のグチはその人が本当に体調が悪くなったので中抜けして病院に行って仕事に戻った時のことです。そのお母さんがタイムカードを押してその時間の給料が出ないようにしていたというのです。

 

そのお母さんは体調が悪いわけではなく単なる親子喧嘩で仕事をほっぽり出して普通に帰っているひとですよ。

 

そのひとが本当に体調が悪くなって中抜けして病院に行った彼のタイムカードを勝手に押して、その時間の給料を引くのです。これヒドイでしょう。

 

イヤなのでそこには行かないようにしていたのですが、ある所にいってある女性に仕事を振ったのです。「立場」があるではないですか。正直行って彼女レベルの仕事は私にもできます。でもそれは彼女の職務上しなければならない仕事ですし私がするのは筋が違う仕事なのです。

 

彼女は普通にしません。普通にしないんです。「出来る」、「出来ない」ではありません。「しない」んです。それを私がするのも筋が違うので色々私は大変だったのですが。

 

あるひとがいて、そのひとに迷惑をしていました。(男性なのですが)彼は私の仕事の邪魔をするのです。大企業に「追い出し部屋」なるものがあるらしく大問題なのですが。

 

その人に何かをいう立場の人に私は一瞬文句を言って笑いました。「あの人何とかしてよ」と言ったのですが。すぐに「無理だ。あの人はどうにもならないよ」と言って笑ったのです。

 

私は普通に働きたいだけだったのですが、人の仕事の邪魔をして給料をもらっているひとがいました。苦しかったですよ。

 

そういうことがあるからそこには近づきたくなかったのです。

 

昔からそうなのかどうか不明なのですが、給料ドロボーが日本には普通山のようにいるようです。別に仕事ができなくてもまったく構いません。人の仕事の邪魔はしないで欲しいですし、出来る出来ない以前に「仕事をしない」のは辞めて欲しいのですが。

二次情報の重要性と問題点

私は二次情報でいろいろ勉強します。それは報道でもフィクションでもそうです。ジャーナリストであったとしても自分の専門領域以外については二次情報で勉強しているはずです。ただ今の日本は二次情報が変なカタチで流通していて私は不愉快です。

 

前にトランプさんの演説全文の日本語訳つきを紹介しました。トランプさんがあれだけ話題になっているのにトランプさんの言動を二次情報でしか知らないと考えています。

 

それも浅い二次情報です。

 

その薄い二次情報だけを元にして「ああだ、こうだ」いっているテレビ番組が死ぬほどあります。偏りは良いです。

 

でも薄い二次情報しかこの人たちは知らないんだとしか思えないひとがテレビで「ああだ、こうだ」いっているのです。当然私は見もしませんが。

 

街角や職場で言うのなら構わないと思うのです。それは世間話ですから。その世間話程度の話題をテレビをしています。辞めて欲しいのですが。それをある種の「責任ある発言」になるのです。

 

当然「録画」されているはずですし。

 

そういう日本語はないのかもしれませんが「発言責任」があるのです。

 

政治家の方がわかりやすいでしょう。パブリックコメントという考え方があります。そういう方がどういうひとなのかしりませんが、テレビでの発言はパブリックコメントに準ずるものです。

 

そういう人たちは深く考えずに言っているのでしょうが、ああいう発言はパブリック米とに準ずるコメントです。

 

政治家の方が失言で辞職しています。ああいう発言をしているひとも「みずからの仕事を失う」ということが多いにありうるということを踏まえてください。

 

違う立場の方がああいう無責任なひとを追求しても構わないとも私は考えています。あの人達は追求されて当然の無責任極まりないことを普通にお金をもらってしているのですから。私もそういう話はしますがカメラも録音機材も回っていない場所でしていますし、お金ももらっていませんから。ああいう人たちとは違います。

偏りは当然ありますが「知識」はあって欲しいのですが

報道にも情報にも当然偏りがあります。それは当然です。そこを私は問題にしません。内容(コンテンツ)の質を私は問題にします。内容が薄い報道や情報があまりにも多いです。場合によっては高校生レベルの知識すらないひとが報道をしている場合もある気がします。

 

そういうことがあるので民放のニュースはみません。

 

ある「ニュース番組」でのことです。当時は暑い時期でした。私はその取材の意味がまったくわからなかったのですが、河川敷で暮しているホームレスの方を取材しているのです。しかも前には雪が降っている時期に取材していたようです。過去のVTRが放送されていましたから。

 

貧困問題は今の日本の社会問題で貧困問題に携わっている方は多数いらっしゃいます。ホームレス状態にあるひとになんらか障害がある場合が多いのではないかと指摘もあります。

 

それ以前に日本人には「基本的人権」が認められています。

 

日本人であればホームレスになる必要はありません。日本人には基本的人権がありますから。

 

その取材クルーもその番組スタッフも私には知識に多いに問題があるとしか思えませんでした。

 

ジャーナリストと取材対象との関係性は難しいでしょう。それは認めます。

 

しかし貧困問題は今の日本の抱えている大問題です。そのことをその番組関係者が知らないとしか私には思えませんでした。たとえばホームレスのひとを貧困問題のスペシャリストにつなぐという企画が私には普通だと思えます。その番組はホームレスの人たちをほったらかしにして二回も取材しています。

 

あるいは日本人が基本的人権をもっているという知識もないとしか思えませんでした。

 

テレビが日本人から見放されて私は当然だと思っています。

 

 

「発言」より「発言教唆」の罪が重いはずですが

今出先なのですがお昼の情報番組をやっています。私はこの内容に疑問を持っています。養老先生はNHKのニュースに批判的です。NHKは「中立公正」をうたっているからです。ある種の偏りがない報道などそもそも存在しえないからです。

 

今なんとなく流れている情報番組にも当然偏りはあります。偏りは別に構わないのです。ただ内容が薄いとしか私には思えません。「コメント」をするひとがいます。中村うさぎさんがテレビをコメンテーターを辞めました。理由はいろいろあるのでしょうが、ある領域に対する知識がないままにコメントをすることにいらだちがあったということも原因の一つだと考えています。

 

昔「イカスバンド天国」という番組がありました。当時は雑誌文化が存在し、ある雑誌に大学生にイカ天の審査員の悪口を言われる企画でした。そこでの大学生の発言は当時の私から見ても「的外れ」なものだったのです。簡単な理由です。彼らには知識ななかったのです。

 

あるはユーチューブでみたのですが外国人の方に言いたい放題言わせる企画があったようです。そこでの発言が「基本的人権に抵触するレベル」でした。BPOは何のためにあるのだろうと私は思い不愉快でした。

 

私もオヤジなので分かるのですがオヤジは責任を取るのがキライです。

 

曽野綾子さんのアパルトヘイト発言がありました。こんな罪はないのですが、あれを「発言罪」だとします。発言罪なるものがあるとすれば「発言教唆罪」がありえます。

 

ある犯罪を犯したひとよりも、その発言を「教唆」した人の罪が重いというのは刑法上のある種の共通了解です。

 

曽野さんの発言も問題だなとは思いました。しかしあの発言後も曽野さんは相変わらずの発言を続けておいでです。

 

私は確信しているのですがオヤジ連中が気がついたのです。「曽野綾子に好きな事をか書かせても悪く言われるのはオレたちじゃなくて曽野綾子だ」と。

 

ということは「確信犯」です。曽野さんの蔭に隠れているオヤジ連中は「確信犯」で「発言教唆」を続けています。

 

刑法上の考えに基づけば曽野さんよりも曽野さんに好きなことを書かせているオヤジ連中の罪の方が重いのです。

 

曽野さんに隠れている皆さんはそういうことが分かっていますか。刑法とかが日本にはあるのですよ。雑誌社にもテレビ局にもいくらでもそういうひとがいるようです。

 

あなたがたの卑怯さズルサは目に余るものです。プライドなど大昔に捨てた皆さんなのでしょうが私は深く軽蔑させていただきます。

「現場」と「現場以外」の遊離 

これが日本をダメにしているのだろうと私は考えています。「現場と現場以外の遊離」です。

 

私が長年黙って罵倒されてきたのは「現場」の気持ちも分かるし、「現場以外」以外の気持ちも分かるからです。

 

「現場のひと」は「上は現場がわかってない!」と怒ります。

 

「現場以外のひと」は「現場はなにやってるんだ!」と怒るのです。

 

具体例をあげますが、ある「現場」に私はいました。ちょっと気になることがあったので「これで良いですよね」と現場全員に了承を取りました。その件が上には気に食わなかったのです。

 

だから私は黙って怒られていました。

 

あなたは言いかえせば良いではないかと思ったのかもしれません。しかし上はその「事情」がまったくわかっていないのです。

 

だから黙って怒られるほかなかったのです。

 

逆もあります。

 

「あのひとはパソコン仕事が好きだから」とあるひとが悪口を言われていました。「アイツは現場からすぐ離れる」という悪口です。でもそのひとは立場上各地の売上の動向等を調査してなんらかを対応を取る仕事をする必要があったのです。

 

トヨタの「改善」があるます。あれは現場の問題点を解決していく方法のはずです。

 

私も色々な「現場のひと」に(それは店だったりオフィスだったりするのですが)いえません。「上に上げといてください」とは。私自身も「上にあげられない時期」が長かったのです。

 

たとえば「業務時間外」に「A4に10.5ポイントで300枚の現場の問題点リポート」を書いても良いかなと思ったこともあります。

 

それをやめば普通は仕事熱心なはずですが。

 

そういうリポートを書いてもまず読んでもらえないとしか思えなかったですし、読んでもらっても邪魔者扱いなんだろうなと思うと書けませんでした。

 

私には何が悪いのは不明ですが、「現場」と「現場以外」がお互いに「悪口」を言っている状況が日本社会で何十年も続いているのですが。これを何とかしましょう。

男の悪口、女の悪口

私は普通に料理ができます。普通レベルです。ある持ち込み可のカラオケボックスでの集まりに弁当を持って行きました。外で食べれば一人あたり1200円くらいの弁当です。男ばかりだったのですが普通に「美味しい」と言って彼らは食べていました。

 

熊本地震で被災して、ちょっとあそばなくてはと思ってやはり持ち込み可のカラオケボックスに行った時にも弁当をつくりました。仕出し屋さんでとれば二万位の内容でした。彼らは普通に「おいしい」と言って食べていました。

 

近所に良い魚屋さんがあって男性の友人と行ったところハマチがやすかったのでハマチシャブをしようと男性の友人に行ったところ私が前に作ったアレも作ってくれ、コレも作ってくれといわれたのです。

 

その事情を別に友人に行ったところ「ツチモトさんはひとが良すぎますよ。それはお金を取らなきゃ」と言うのです。彼がいうのもごもっともです。そのハマチを三枚におろしてサシミ状にするのも私ですし、タレをつくるのも私ですし、シメのご飯も私の米ですしご飯を炊くのも私ですし材料を買うのも私なのです。

 

でもある種の男性はそういうのが「普通だ」とあまりにも思っているのでお金を取るとかそういうことがしずらいですし、だからといって何かを要求するのも気がひけるのです。

 

これが男の悪口です。

 

女の悪口なのですが、女性は「関係性」を「普通」に言います。ある女性と料理の話をしていた時に彼女は「友達に県の料理人のトップがいるの」と言うのです。私はそのひとのことを知りませんし、そういうことを彼女が言う意味もわかりません。

 

ある種の女は「偉いひとと友達だ」とか「立派なひとと友達なの」とかいうのです。そのひとの友達は「偉い」のでしょうし「立派」なのでしょう。しかし彼女たちは「偉く」もありませんし「立派」でもありません。

 

女の「誰かとの友達自慢」は辞めて欲しいのですが。

 

男もなんでもかんでもひとにさせといて「普通」だと思うのは辞めてください。

 

私には両方「意味がわかりません」。