これは「傾向」の話ですよ 私は運命論者ではないから 占いの捉え方
ある時に知人の息子さん二人と同席したことがあったのですが私はその時に驚きました。
そこは男兄弟二人だったのですがそこの弟と(初対面の上で年齢もずいぶん違うのに)急にお互い話し始めてずっとなんやなんや話しを続けていたのです。
私も次男坊なので「生育環境ってあるんだな」とその時に思ったのです。
ただこういう議論はいつの世にもあるのですが(そんな事実はないのですが)「次男は優秀だ」というひとがいたとします。
この説には問題があります。
「それじゃあ長男に生まれたひとは生まれつき無能にしかならない」ということを暗にいっているからです。
私は「自分は運命論者ではない」と書いています。
「次男は優秀だ」(つまり長男に生まれたら無能なんだ)という説(あるいは発言)「運命論」です。
優秀な占い師の皆さんはそういうことがわかっているはずです。
「これは傾向にしかすぎない」のだが「この傾向には一定程度の精度がある」ということがわかっているはずです。
この話は生命の実相という私が若い頃にずいぶん読んだ本からの孫引きでそういう知識があるひとが細木和子さんの番組を面白がってみていたのを覚えています。
昔の中国の話だったと思うのですがあるひとが子供のころに占ってもらってその占いが全部あたっていたそうなのです。そしてそのひとは自分は占いの通りに死ぬとも思っていたらしいのです。
そのひとの精神のありようは現代人へのヒントにもなります。現代日本社会は「死を隠蔽している社会」ですから。
人間で死なないひとはいないのですが「ひとは死ぬ」という本来当然のことを日本社会全体が「考えないようにしている社会」ですから。
あるお坊さんがそのひとの様子から「このひとの精神性はとても深い」と思っていろいろ聞いていたら「占いが全部当たっているから」という答えが来たので納得して「あなたの心持ちが変化すれば占いは外れていきます」といったというのです。
ある種の占いは統計学なので事実「傾向」はつかめるはずです。
でもそれはあくまで「傾向」です。
運命に100%の意味を持つと考えると「個人の努力に意味はない」という結論にしか達することができないのです。
ある才能あふれるひとを私は知っているのですがそのひとは才能を開花させることができませんでした。そのひとには明らかに「もって生まれた才能があった」のですが。
「占い」には一定程度の精度はあります。ですが当然100%の精度ではありません。