すべて敬称略です。
斎藤幸平の100分で名著のヘーゲルの精神現象学のテキストを読んだ。「なるほど」と思った。
この中に奴隷と主人の話が出てくる。主人は仕事を奴隷にやらせて自分は遊んでいるだけだから仕事ができなくなる。奴隷は仕事をやらざるを得ないからできるようになる。
雑にいうとこういう話だ。私はこの話でヒドク納得した。
わかりやすいのがエッセンシャルワーカーの問題だ。「エッセンシャルワーカーをどうしたらいいだ」という話があるのだ。私は「忙しいんだから四の五の言ってないで手伝えよ」と思っていた。
コロナパンデミックの中の医療従事者応援キャンペーンもそうだ。やっぱり一緒だ。「忙しいんだから手伝えよ」だ。
「そっちはたいして忙しくもないわけじゃない?大変ですね、大変ですねってばっかり言ってないで手伝えばいいだろう」と思っていた。
今の話でいうとエッセンシャルワーカーや医療従事者が奴隷だ。「どうしたらいいだろう」とだけ言ってる連中が主人。「大変ですね、大変ですね」としか言えない連中が主人。
私も長年「正直邪魔なんだけど『邪魔だ』というとコイツ等『せっかく応援してるのに』と言って怒るからな」と思ってそういうことはいわないで堪えて我慢していた。
だから事実奴隷と主人なのだ。
今野党が厳しい。理由の一つは組合の票が少ないからだ。野党が厳しいということの理由はこういうことだけではない。そして自民党もずっと派閥があったのだが今は昔のような意味での派閥はないのだ。昔のような意味での派閥がないことは自民党にとってもマイナスになっている。ただこれは55年体制のあとの時代に移行していることの能われだ。
組合だ。私はずっと非正規雇用だ。非正規雇用だと組合とは基本縁がない。もちろんどうしようもなければ自分で作るしかない。だが私たちが既成の組合から誘われれることはなかった。そして同一労働同一賃金でもないのだ。私はこの件が今だにハラワタ煮えくり返っている。同じ仕事をしているのに正規雇用は給料も待遇も社会保障も良いのだ。でも同じ仕事をしていてもこっちは給料も待遇も社会保障も悪いのだ。具体的には年金のこともある。こっちは有給休暇もなかったし当然ボーナスもなかった。ヒドイものだ。そういうことがあって私は今だに正規雇用の連中も組合も死ぬほど嫌いだ。
話を戻す。今の日本で発言権をもっているのは「主人」だけだ。これが本当にヒドイと思う。奴隷の側には発言権がないのだ。本当にヒドイ。
今回はただ「本当にヒドイ」とだけ書いて文章を終える。